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Gears of War 2

もうひとつシナリオについて書いておくと、今回わりとショッキングな内容だったのが意外だった。いいとか悪いとかではなく戸惑う。ショッキングっていうかエモーショナル?よくわからんけど。オタ一般にいわれるところの「死亡フラグ」関連かな。死にそうにないやつほど死ぬ…かといえばそうでもない…かと思ったらやっぱり死ぬ…、みたいな針の振れ方が反復される。キャンペーン中にひとの死が描かれるゲームだった。繰り返しのたびに未来が狭まっていき、ある予感を抱えつつ重苦しい探索に向っていくことになる。Epic 社ゲーって WWII ものとかとは違って、SF スポーツシューターだと思ってるから意外に感じるんだと思う。そういうめんどい部分をスルーして、単に残虐無比なクリーチャーと殺意を叩きつけあうという、ある種の安全さというか、GoW2 は表現としては残虐だけどもそれは映像面に限ったことで、時代感覚みたいなものを取り入れないゲームなんだと思っていたのだよね。なんか今回のシナリオはそれを感じさせた。

多分彼が死なないと思ってるひとは GoW ファンの中には居ないと思うので、これは多分ネタバレにならないと思うんだけど、カーマインは今回もやっぱり死ぬ。始める前から「こいつは死ぬ」とわかってるキャラだから、注目点は「どう死ぬのか」という部分になる。でも全部終わったあとに振り返ると、カーマインの死が一番堪えたかなと思う。1 で死んだカーマインのフルネームは Anthony Carmine で、今回出てくるのはその弟の Benjamin Carmine という設定になっている。ついでにいえばカーマインは四人兄弟なのだそうだ。1 で A、2 で B ときたから、3 で出てくるのは C だな(クリストファーとかか?)…というあたりはもはや予想ですらない既定路線といっていい。そして C.Carmine も多分死ぬだろう。不謹慎ギャグとしての無意味な死、という意味で、おれの中でカーマインは SOUTH PARK のケニーみたいな位置付けだった。けど違ったね。そもそもケニーの死が笑えるのは、それが「何回死んでも次のエピソードでまた何事もなかったかのように登場して再び死ぬキャラだから」で、GoW のカーマインは一回死んだらそれっきりだ。1 で死んだアンソニーが蘇ってきて 2 でも殺されるわけじゃない。同じ死の繰り返しなのは、キャンペーンではなくマルチプレイモードでの各キャラクタの死ということになる。

シナリオ的に意味のない死という点では共通だけど、今回の B. カーマインは死亡イベントの手前で一旦死亡フラグを叩き折っている。折ったのに、やっぱり死んでしまう。ほかキャラクタの、シナリオとして、またはイベント的に意味のある死よりも、きつく、笑ってしまう。これは 1 を受けての 2 での「やっぱりな」という単純な笑いではなくて、「意味がなさすぎて笑うしかない」というニュアンスを含む笑いだ。イベント自体の扱いも軽く、その後の展開の都合で彼の死の感傷に浸る余裕すらない(というより、カーマインの死のあとプレイヤから考える時間を意図的に奪うデザインになっている)。アメリカ人はホラー映画を見ると笑うというけど、恐怖だけでなく悲しみの感情表現にも、笑いが食い込んでる部分ってありそうだなーと思ったりした。どうでもよくないものとどうでもいいものは混在し、各個の事情などお構いなしに干渉しあうから、世の中はままならない。やむことのない攻撃を前に瓦礫になった街は二度と直線を取り戻さないのに、それでも壊れていってしまう。あんま考えこまなくていいゲームだと思っていたのに、感じ取れる絶望感はわりとシリアスなのだ。

当初から考えていた GoW コンセプトとしてのあるべき姿だと考えてこうしたのか、それとも「前作ファンの望む続編であれば、このテーマを避けることはできない」と敢えて盛り込んだのか、どっちなのかは気になるかなー。