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最近のインターネット

  • ネットの喩え話に戦争を持ち出すのって大変相性いいんだけど、でも僅かでも軸が傾くと即比喩として痛くなるのでむずい。
  • 昔から IRC チャットかあったのでトラックバックは最初からおもてなしツールというか…、いや、なんか逆に「はじめてのフォーマル」みたいなかんじが。
  • やっぱ天才とか有能とかの描写がいい加減な作品てのは、害悪なのかな。天才とか有能とかの、雰囲気だけ纏えば天才や有能に僕もなれる!て勘違いしちゃうひとが出るやん。もっと描写が具体的なら「こんなことまでしなきゃ(できなきゃ)天才とか有能とかになれないなら、ならないほうがいいや」という諦めやすさによって救われるものはないか。でも天才とか有能とかに憧れるような精神状態の人間にそれを受け止めろというのは酷か。
    • 粛々とやることやりゃいいんだけど、それがどうしてもできないというひとが、雰囲気ロールに手を出すのと、なんにもしないのと、どっちがマシかというと周りからすれば後者がマシだが、当人にとっては何かやってたほうが気が紛れていいか。何かを粛々とやると、周囲から自然に天才でも有能でもない(それなりの)ところに位置付けられるわけだから、それがイヤだと、普通のことはできなくなるのか。
  • 他人と自分が本当に絶対に、入れ替わることはないのだ、ということをきちんと認識しないと、「自分が生きるためには頑張って働く必要があるが、世の中には遊んでくらせるひとが結構居る」ということを受け容れるのは難しいのか。「自分がどれだけ望んでも、決して成り代わることのできない立場にあるもの」に対して生じる感情はたぶん敵意とかになると思うんだが、嫉妬ややっかみとかは、「自分とあいつは交換可能だ」という可能性を信じているから生じていると思うんだよな。で、傍目からみると大概そりゃおこがましいだろという話にもなり、実際やり直すことができないしで。これからに懸けるしかないという話になるが、再チャレンジの目がもうない、という場合だって歳食ってくると見えてきてなかなかに酷薄。あと役割において人間は大概交換可能、だとは思うけど交換するコストって相当高いので大概やらねえしやりたくもないってのもあるけどそれはこの場合関係ないか。