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人狼は有益 / Avalon も有益

もはや無益だからよい、とはいわない。人狼は有益だ。もちろん Avalon も有益だ。アッシュは小汚くないし、むしろあげぽよ。うまそうな食材を残飯みたいにするあの調理にはどんなニュアンスがあるのか全然わからないが「さすが味覚の野蛮人」とだけ思っておくことにした。

  • ところで Avalon が眠いか眠くないか問題、本作をただ実在非実在みたいな例の押井氏演歌として見るか、アッシュというカリスマゲーマーの伝説として見るかというオタ側の視点位置の話はあると思う。もちろん、我々が本当に見たいのはアッシュというカリスマゲーマーの伝説よりも梅原大吾氏のドキュメンタリーなんだが、まあ梅原大吾氏のドキュメンタリーがあれば Avalon の価値がゼロになるというわけでもない。実際に梅原大吾氏のドキュメンタリーを見たあと Avalon を見てもやはりおもしろかったことにより実証済みだ。
  • ところでおれが「我々」とか「おれら」とか一人称を複数形にするときは、べつにおれを含めたなんらかの集団を背景としているのではなく「義務教育が作ったおれのような人間がおれ一人であるはずもない」みたいな感覚や、あと虚無をやり込みすぎてゴクリ化したホビットとかそこいらを想定している。
  • ところで Avalon PC の UI はいまでもちょっと憧れていて、あの雰囲気のテキストゲー出ねーかなーと思ったりしている。iOS で。
  • かんたんにいえば Avalon を架空のゲームを題材にしたファミコンロッキーとして見たりするんだよ。ほら、ファミコンロッキーて「実在ソフトの」「実在しない無茶な裏技を利用して」勝つやん。あんなかんじやん。実在しないゲーム世界の実在しない裏技ってだけで。同じに見れる。ああいうノリも、後のゲーム都市伝説の素地になったと思うんよ。裏技の想像力とか。
  • で、改めて Avalon 再視聴してんだけどマジおもしれー。だいたいが Class Real と言われりゃ興奮する世代(おれ所属)と、現実なんてクソゲー言説以降(おれ非所属)とで断層があるよね。いやはっきり所属非所属が区別されているかんじでもないか。Class Real と言われりゃ興奮するのに、Class Real が全然いいものに思えない感覚が同居してるわけよ。それが 80 - 00 年代を刻み込んできた身体性ってやつだよ。画面に向けて視聴者(おれ)が勝手な妄想を仮託してそれを愉しむことができるようにできてんだよ。コンダラ引くことに人生を見出しうる程度の基本的な現実感だよ。
  • おれが Avalon に感じる唯一のいやな部分は、「…ところで黒柳徹子氏って若い頃主人公みたいな顔だったのかな…」とか連想してしまうところかな。いや絵が決まってさえいれば、アッシュがトットちゃんでもべつにいいし、さくらももこ氏でも研ナオコ氏でも構わないんだが。