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ぶりっこヘイト関連

  • おれに言わせれば男がぶりっこを嫌う心理は当然だ。ただまあぶりっこが好きな男も居ることは認めざるをえない。メイド喫茶の空気に耐えられる人々。あれが健常な男すべての備わる耐性だというならおれはマイノリティということになるが、そんなわけはない。
  • どだい「TRPG セッションが行われている密室で、セッションに参加していない人間がくつろぐ」みたいな仮定は無理難題だ。メイド喫茶でおれが正常な神経をもって座り続けるためには「毎晩風呂上がりに鏡の前で各種ぶりっこポーズの素振り 1 セットずつ 300 回」みたいな体育会系エピソードがないと厳しい。ある種のやり込みとその覚悟のうえに現出する仮想戦記。おれは演劇を見ないので演技の良し悪しはわからないが生活における不自然や違和感への耐性の低さによってぶりっこに対する怖気くらいは持っている。まず地声以外の声音からして苦手だ。電話を取った瞬間に変貌する女の猫撫で声が子供の頃からイヤだった。思うにそうした怖気を超越して納得力を持たせうるものが芸能と呼ばれ、それによっておれはアニメ声優の演技に違和感を持たずに済んでいるのではないか。ナチュラルメイクは化粧なのにそれを自然な美しさだと思い込む、という錯覚により狂気の領域に踏み込まず癒されている。「おもしろくもないときに笑ってると、なんか気が狂ってしまうのではないか?」みたいな漠然とした恐怖があるのかもしれない。
  • …というわけで、ぶりっこ否定主義者の代表格は宮崎駿氏あたりなのではないかという気がしている。れいの「娼婦の声!」ていうアレ。氏の場合アニメで話を作っているという都合から、愛想とか作り笑いとかそういうものが紛れ込むと作中のリアリティコントロールが歪む、という職業的にヘイトスピーチしてるだけかもだが。
  • あと、ぶりっこを嫌う心性を体得しておくと、サークラ事例に関して序盤に「あ、こいつぶりっこだ、たぶんめんどくせえ」と距離を置くようになるので面倒事の中核に巻き込まれる確率が低くなるという利得もある。まあ確率の問題でしかないしサークルが空中分解した場合中核からの距離とか関係なく迷惑は被るんだけど。