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最近のアニメ - かんなぎ関連

2008 年も終わりかけているので、ついに重い腰をあげてアニメ版「かんなぎ」の視聴に入ったタイムライン増補改訂日記。

  • 06:57 OP ダンスはふにゃふにゃしてるなあ。
  • 07:45 二話まで見た。そういやこれもおれが苦手な「うぜえ女のわがままに付き合ってやる主人公」の話だったよな(だからなんとなく重たくてこれまで見れなかった)。おれはわがままに付き合わない側の人間なので、そうした主人公に対しては共感要素ゼロだから、感情移入がむずかしく、そうなると細部にばかり目がいってしまうんだよなー(このへんの「とらドラ!」項でちょっと書いた→http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20080826#p1)。で、アニメ版かんなぎは細部が細かく演出されているので、わりと容易くなにかを見たような気分になれるけど、それ自体が罠っぽいという。
  • 07:51 まあでもこれ性別逆転すると少年漫画なんだろうなー。「ウゼえ主人公のわがままに仕方なく付き合ってやってるうちに関係が構築されていくヒロイン」っていう。
  • トランジションの使い方が意図的だなー。サザエさんとかドラえもんとか連想する…のと同時に、「え?」みたいなベタベタなトランジション使いから STARWARS とか連想した。実際にはそういうのとも違って、むかしの邦画っぽさを感じた。
  • 08:01 Too pure pure girl の元ネタってかんなぎだったのかー(実際には Too pure pure boy と Too shy shy girl)。
  • 08:19 つぐみ役は沢城みゆき氏かー(ダメ絶対音感が鈍いのでようやく気付いた)。これまでに演じてきた経験値の利息のうえで、手癖で流してるだけっぽい気もするが、うまいなー。
  • 09:57 見れば結構おもしろいけど、まだブーストかからんな。五話終わった。
  • 10:18 やべえ六話(買い物&メイド喫茶回)で俄然おもろくなってきた。
  • 10:21 主人公側がヒロインを好きになったというのがわかって、「それならわかるわ」というかんじでモチベーションが整理されたってかんじかなー。
  • 10:31 かんなぎ結婚してくれ!
  • 10:41 (外で煙草吸ってきた)うーんしかし煙草から戻ってくると再生止まるな。まだ足りんか。
  • 10:42 年末だというのに裸足サンダルで全然問題ねーのはなんでだ。うちの近所まじであったかい。
  • 07:42 (翌日)つぐみ沢城いいなー。やっぱ沢城みゆき氏はおれにとって「声質はあんま好きじゃないはずなんだけど、演技で好きになる」という珍しいタイプの声優なのかもしれん。キツい台詞出たあとの自省とか、メイド喫茶でチャレンジ台詞をスルーされたときの壁頭突きとかいちいちおいしいわ。絵の芝居も十分細かいけど、声の芝居がそれを補完して余りある。というのはべつにつぐみに限ったことではなく全キャラの声についてそういうパフォーマンスがみられるけど、ポジションのおいしさと見せ場のわかりやすさで、つぐみの活躍が光る。

結局八話まで見た。これはおもしろいだろ。最後まで見るし、たぶん何度か再視聴を繰り返すだろう。題材にはそれほど新味を感じず、要素の時点でもどうということはないかんじだったけど、アニメーションの実際の味わいが良い。意外に手堅い絵作りは安心ダラダラ消費財として優秀だし、感情の動きの起承転結の手順を全部描かない省略技法は現代的だし、キャラクタ個別の小芝居のストーリーラインがレイアウト上で分離合流を繰り返すのは目のくすぐり的にも心地よい。なんつっても六話が良かった。初期展開が一段落しての日常描写回というかんじで、それが良いってのはなんかアレだなとは思いつつ、しかしつぐみかわいいよつぐみ。三角関係に大団円なしとはよく言ったもので、そうした未来を漠然と予感しつつ(←まあ三角関係は四画関係に変化することで大団円になったりもするわけだが)、経過状況のギャップも逐一おいしく召し上がる快楽は恋愛作品消費の醍醐味だ(無数に枝分かれする感情を打ち捨てながらただひとつの結末に向っていくストーリーは残虐であり、我々は残虐をよしとする生命体なのだ!)。かんなぎの女子高生は、ラキスタの女子高生なみに「こんな女子高生いねー」という幻想住人のディテールを追求しているが、この Too shy shy girl の純情はトゥルーだと信じたいね。いずれしあわせになればいいんだよ。

改めて、六話で重要なのは、おれにもはっきりと理解できる形で、主人公がヒロインを好きだと示されたことで。いやーこいつヒロイン好きなんじゃん。好きになったんじゃん。じゃあわかるわ。好きなら仕方ないわ。ようやく「うぜえ女のわがままに付き合ってやる主人公」テンプレートで合理的に腑に落ちることができたわ。「とらドラ!」にせよ「かんなぎ」にせよ、一目惚れしたわけでもなさそうなのに、当初好きでもなんでもない(はずの)女のわがままにとりあえず付き合ってしまう主体性のなさを、おれはやはり気に食わないのだが、しかしまあすったもんだの挙句しがらみの出来たヒロインに惹かれて行くってのは、これはとてもわかりやすい話で、順番が違ったが、ともかくここでようやく帳尻が合った。現実において順番の違いはよくあることだから、一度納得してしまえば「それはそういうもの」と片付ける回路は常時稼動中。ルーチンワークで流せる。

いやそもそもわがままに付き合ってやってる時点でやっぱり多少は気があったんじゃないかという言い方もできはするのだが、その説をおれは却下するのだよね。あのな人間には肉欲ってものがあるんだよ。それは充たされれば消えるんだよ。充たされても消えないものを抱えてこその Too pure pure boy であろうが。五話までの主人公は、そこをどう考えてるのかよくわからなかった。「一つ屋根の下に年頃の女の子と暮らすことになってドギマギしてる(だけの)男子」以上のヒントが読み取れなかった。二話では「単に気がある」程度以上に感情的な振る舞いを見せたりもするが、未熟な人間がテリトリーを侵されたうえで相手のテリトリーへの侵入を拒絶されれば、あれは当然の反射というべきで、あの時点で主人公に「互いの背景を共有したい」というような前進的な意図まで読み取るのは過剰だ。このへん、やっぱアニメ漫画ゲームが基本的にヒロインを美少女としてしか描かないことによるおれの感受性障害とかもあるのかなー。アニメキャラ同士の恋愛において容姿は基準にならないので(←美男美女まみれだから)、内面でしか恋愛感情が駆動しないかのように錯覚できてしまうという。