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最近のアニメ - 物語に踏みにじられる片想い最高

年始からのアニメ活動の結論としては「物語に踏みにじられる片想い良いわー」あたりに落ち着くかんじだ。が、そんなんでいいんか。具体的には、

このへん。

かんなぎはひとまず置いて、マリみてについていえば、第三期以降あからさまにおもしろさが上がったように感じられたことで、自覚することになった。なぜ第三期からなのかといえば、福沢祐巳がモテ期に入るからだ。第二期までの福沢は、なにを考えているのかわからないお姉様に振り回されてアタフタする卑小な存在でしかなかったが、お姉様との出会いから関係の磐石化へ至るひととおりのコンフリクトが第二期までで片付いて、後顧の憂いがなくなったことによって、後輩殺しの才能が開花する。後輩たちは福沢をどんどん好きになっていき、しかし福沢は鈍感オーラと天然オーラと併せ持った特質系能力者なので、自分がモテ期に入っていることにも無自覚で、にもかかわらず、自分を悪しからず思っている後輩の感情と、後輩から悪しからず思われる自分の立場と振る舞いを、状況解決のため便利に活用しようとしたりもする、まあ一言でいえば、魔性の女ったらし女として大化けしておる。気付きと振る舞いの問題というのは、扱いがむずかしいものだなとしみじみする。

真面目で鈍感で悪意のないキャラクタに魅力が備わるというのはほとんど暴力であり、そのように無自覚な(あるいは無自覚さを開き直った)暴力周辺では、片想いはよほどのことがないかぎり昇華されない。そして作品世界にはストーリーというものが存在するために、キャラクタの立場や機会は平等ではなく、「よほどのこと」は個別の思惑を超えて操作される、これもまた暴力といってよい。そうした暴力群の渦中に翻弄される薄幸ヒロインとして、「かんなぎ」のつぐみが実に良いというか、むしろ可哀相さを楽しむキャラクタとして演出されてすらいて、どうしようもなかった。ただ、その立ち位置って見方によっては絶対安全ともいえるわけで、おいおいお前の居場所はそこじゃねえだろ的な気分もあった。

終盤に仁が心身共にズンボロになったとき、つぐみには最大のチャンスが来たのだけど、それをサクッと潰してしまうあたり、つぐみの勝負しなさが現れていたかなーと思う。幼馴染という距離感が却って戦術の幅を狭めてるよな。そこで友人ヅラなのかよ、「あなたらしさ」とかに「好き」の要素を分解するのは結果論で違うんだよ、スポーツじゃないんだからフェアさとか要らないんだよ、とっ捕まえて縛り上げて身動きできなくしてからなんでもやらせたらいいんだよ、ツメが甘いというか、トドメを刺せる状況で仕切り直しを入れてしまう高校恋愛だな、みたいなことを思いつつ、いやこれは高校生のアニメなんだからそれでいいのかと思いなおした。しかしまあ、物語側に感情線が上書きされたという見方のほうが先に立ちはする。

ストーリーは、現実に置き換えれば「事情」に相当し、片想いキャラには多くの場合事情と抱き合わせでしかチャンスが来ないから(≒「いまはそういう状況じゃない」)、ストーリーに遠慮するかぎり勝ち目はほとんどない。彼ら彼女らが自分の考える幸福を掴み取るためには世界の殻とかを破壊しなければならないというわけだ、が、彼らの多くは慎み深いのでそんなことをしない。義理と人情の板ばさみってやつだな。そういった陥穽に一人で勝手にハマっているキャラクタへの同情、みたいな意味もあるのだろうか…。