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Instagram 近況 - 温泉行った

自動車運転免許取得前には、よく「わざわざ風呂入りに遠くまで行って、さっぱりしたあと帰路でグッタリ疲れるんじゃ意味ないじゃないか」と温泉ドライブを軽んじていたおれだが、あのときのおれは完全に正しかったといまでも思う。あまり意味はない。ならばなぜ温泉に行くのかといえば、そこにあまり意味がないからなのだった。

  • どこかへ行きたいが、行きたいだけ。走ってる最中はそれなりに移動自体が作業だから暇が潰れる。
  • べつにどこかへ辿り着きたいわけじゃない。強いていえば好きなのは自分の家だ。ひきこもっていれば一番ラク
  • だがひきこもっていてもたまに煮詰まるんだから外出重要。閉じていく宇宙は大嫌いだ。SF 甘言「僕たちは拡散してゆく…」に癒しと希望を夢見た人間だ。ラクさと引き換えにするには耐え難い。
  • 高校時代くらいから、人類を「友達が家に遊びに来てくれる側」と「友達が家に遊びに来てくれない側」に区分すれば、おれは後者の人間だという自覚がある。交通の便が悪いとかモノが少ないとかいろいろな要因はあるが、根本的には人徳の問題だ。そういう人間が退屈を持て余したとき、ほっといて来てくれない友達を無理に家に引っ張ってきても、あんまいいことはない。さっさと諦めて自分から友達の家に遊びにいくか、街に出るのが合理的。街に出かけるとなんだかんだで金がかかって、そしてあまり金もなかったので、おれは必然的に「仲間内のたまり場になってる家に入り浸る側の人間」になった。まあ昔の話だ(といいつつ、ルームシェアなどの事情もあって、相当この種の環境を食い延ばしてきたんだけど)。
  • おっさんになってくると、あんま友達の家に遊びにいきたいというようなかんじでもなくなるので、自然どっか行くという方向に集束する。どっか行って、帰ってくる頃には日が暮れているから、一日分の暇が潰せたということになる。これを死ぬまで繰り返せば、まあ一生分の暇つぶしになる。ので、暇なときに出かけるという選択肢を捨てなくて済むように調整していけば、人徳のない人間でも人生に塞ぎこむようなことはない。
    • ついでにいえば、自分の徳が低いことを嘆いたりする必要はない。「遊びに来る / 行く」基準でいえば、徳の高い人間より低い人間のほうが必ず多いので(←世の中には溜まり場というものがあり、溜まり場 1 に対して溜まってる人間が 3 人以上であることから、遊びに来る側の人間より遊びに行く側の人間のほうが常に多い)、我々は多数派であり安心してよいからだ。「多数派に帰属し、他方同時に少数派にも帰属する、そしてその両方から質の異なる安心感を享受する。帰属する母体をなるべく多種準備して、安心感は多角的に経営する」というのが現代サヴァイブ術の基本で、なにごとであろうとその一要因として扱える。
  • 観光とか得意ではない。行った先でまったりするのが苦手。自転車でいうと山手線沿線周回が最もたのしかった人間だ。マラソンでいうと折り返し地点にタッチして帰ってくるだけ、みたいなのがいちばん気分的にラク。まあランドマークとか見るのは好きだし(数秒間くらい)、あと高いところに登るのも好きだが、やっぱそのへんもタッチアンドゴーの域に留まる趣味といえる。
  • そういう暇なくせに落ち着きがない人間にとって、強制ステイ装置である温泉はなかなかに良好な行楽といえた。浸かるという行為が進行中であるという意識があるので、ある程度はじっとしていられる。任意に出ていいので「あと何分我慢しなきゃ」みたいな抑圧もない。身体を洗うのでサッパリする。それなりに体力を消耗するので、ただ風呂に入ったというだけなわりに「やったった感」も得られる。
  • 九州は火山帯のわりと活発なエリアでもあり、温泉地は無数にあるので毎回違うところに走って気分転換ができ、そしてとにかく風呂に入りさえすればいいというかんじだから風光明媚度とかにこだわる必要もなし。まあこっちがこだわらなくても、温泉地のほうで差別化のためいろいろ頑張ってくれているからわりと毎回たのしいし。

とまあそんなわけで、毎度の調子で温泉行ってきた。いい湯だった。

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