matakimika@hatenadiary.jp

WELCOME TO MY HOME PAGE(Fake) ! LINK FREE ! Sorry, Japanese only. 私のホームページへようこそ!

不連続な感情表現としてのインターネット利用関連

連続性の保障がひとを発狂させないらしいが、不連続性の連続も織り込んで生きているのが人間であるとも思う。どっちもあるという話だ。で、ネット言説に巻き込まれ(動員され)やすいひとは、自分の感情のうちの不連続部分、いってみれば「五分間の感情」を吐き出すメディアとしてインターネットを使っていて、それ以上の長さでの感情動物的な振る舞いへの意識が薄い(←揉め事に絡んで行くようなアクティブユーザではなく、炎上に動員されるタイプのカジュアル悪感情嗜好者を想定)。これを喚起するためには、ネット人格の連続性はあったほうがよい。したがって、ハンドルを使ったほうがよいとなる。…まあ「連続的な感情は不連続な感情よりもマシである」という価値観上での話だけど。

  • 見世物として考えると、「不連続な感情の連続性」みたいなものって、やりかたさえ上手ければ、けっこうおもしろいんだよね多分、たとえば人気のある Twitter ユーザなどはそうなのだろうし、いましろたかし「釣れんボーイ」や久住昌之谷口ジロー孤独のグルメ」などの漫画で描かれるおっさん主人公たちの不連続的な感情表現などは、じつに中年男性らしさを醸しており味があったりする。
  • あと当然、「不連続的な感情表現としてのネット利用」の形態は、「不連続的なネット閲覧という生活習慣」からも多大にアフォードされているのだろうから、たぶん「勉強や仕事や移動のあいまにちょっとだけネット見る」みたいな勢力ならば、そのようなネット利用こそが自然という気もする。それを回避したいのなら、たぶん「毎日起きてから寝るまで延々ネット漬け」みたいなジャンキーの「連続的な」ネット利用生活形態のほうが上等だという話になってしまうような気もして、そりゃちょっとどんなもんかねというかんじに。
    • そのうえ、「ほとんど一日中ネットにかじりついているのにもかかわらず、その大半の時間を不連続的な感情表現に費やす」みたいな事例だって結構ありそうで、べつにそれやっぱそれほど関係ないのかもなあというかんじに。
  • ハンドルはあったほうがネット利用のおもしろさの拡張性は享受できると思うが、「実名であったほうがよい」とかになると行き過ぎだ。たしかにいまどき実名はハンドル以上のリターンを受けられる可能性を持つけど、同時にリスクも背負う。匿名〜ハンドルまでを往復するネット運用なら単なるプラス、ハンドル→実名になるとプラスとマイナスの抱き合わせ販売ということで、話が全然違ってくる。
  • この場合空気とかは関係ない。というか空気は連続性のある主体だけが拘束するものなので、名無しさんは空気読めなくていい。
    • というか逆で、空気から分離させるためにこそ、ひとは匿名になるのだと思う。そこには当然「普段の立場を離れてフランクにものを言いたい」「匿名は空気読まなくていいからラク」「空気の読めなさが原因でコミュニティから浮き上がるのを回避するため、曖昧な匿名の群れに紛れ込みたい」みたいな共犯関係も生じうる。
  • インターネットで感情をぐちゃぐちゃこねくり回して楽しむのって、たぶん煙草の常習者みたいなもんだから、たぶんすでに染まってるひとはもうどうしようもないと思うんだよね。アーキテクチャを調整して新規参入者を減らしつつ、世代交代を待つのが最善。とはいえ、そのてのライトユーザは、自分の感情をこねくりまわして楽しむために他人の感情を触媒として必要とするから、そのシステムに他人を巻き込みたがる。ので、自分と似た生活習慣者の増殖を志向する。

あとまあ、人間がうっかりどうでもいいことにわざわざ反応してしまうのは、それ以外ネットに書くことがないときなんだろうと思う。「いちいちネガになんかコミットしてないで、自分のポジを表現しようよ!」的な言説たまに見るけど、たぶん皆それほど日常的にコミットしたいポジを持っていないってことだ。というわけで趣味が重要で、ライトユーザはオタクになればいい…んだけど。たぶんこれ、オタクになるのもサブカルになるのもめんどくせえ、というダラっとしたひとたちの問題だものな。非モテみたいな。