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おれと匿名コミュニティ

なんかむかしの日記っぽいんだけど検索しても出てこないのでポピペ。

匿名で発言しにいくのではない、匿名というキャラクタを演じにいくのだ。…というのがつまり、おれの匿名コミュニティへのスタンスということになるのだろう。そこにロールプレイがなければ、匿名は単に名前がなくなった状態であり、魅力がない。もちろんリスクを避けるという観点から匿名を選択するというのが実用的な考え方としてひとつあるが、当座のところあまりネットで実用のことを考えてなにかしようと思わないので(有意なことをしようとするからこそリスクは生じる)、選びうるけど不要の選択肢ということになる。

匿名というキャラクタを演じるという環境が準備されるためには、もちろん、その匿名コミュニティにおける「作法」が成熟しなければならない。二週間程度でだいたいわかり、半年 ROM ればほぼ完全にマスターできる、くらいが望ましい。空気の醸成というかな。それがない場は、全員が「単に名前を消した状態で発言する場所」として振舞うため、流入するひとの質によっては実用性が確保できる場合もあるので、くだらなくはないんだろうが、まあつまらん。それが固まる前の、作法のアリナシを判定するためにとりあえず打ち合わされる、いろんなポリシーに基づく言動を見るのもまた楽しかったりするが、そこに分け入って空気醸成に加担するような熱意はない。出来上がったものを知り、気に入ったら参加して、それ以外ならスルー。コミットしておく場としては一箇所で充分で、それがおれの場合は自アンだ。

おれが書いているこの日記の名義はもちろん仮名で、実名と対比すれば大雑把に匿名と似たようなものとも言えるのだが、いはゆる匿名とは「連続性の保障」「検索による抽出、トレースが可能」という点で異なっていて、そして連続性の保障はほかでもないおれ自身にとって最も有用なので(あたりまえだが、自分が書いた日記が、キーを引っ張ってくるだけでほかの大量の文書の中からすぐに(そしてどこででも)取り出せる、というのは便利だし、それができないなら日記をわざわざ web になどアップロードしない)、現状これでいいと思っている。もちろん現実的に、私的な日記を誰でもアクセスできるところに放置しているリスクは取れないという判断から、実名で日記を書きづらいという話もある。あとおれは、ネットにハンドルという慣習があったことによって、「自分で自分に好き勝手に名前をつけて、その名で活動し振舞うことができる」という状況自体を結構気に入っているので(←名前には「名付けられる名前」と「名乗る名前」の二つがあって、そのうち片方しかないと窮屈なかんじがする)、仮名言動の自由は今後とも可能な限り制限されてほしくないものだなと思う。でもまあこれは匿名の話ではなかった。その筋合いでいうと、ネットでなにか有意な、しかも実名と紐付けられるとリスクの高いようなことをやろうとするひとたちの自由度のために、匿名行動の自由もあまり制限されるべきではないのかなと想像する。