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やっぱ主人公キャラは共感可能性が高いほうがいいんだろうが

やっぱ主人公キャラは共感可能性が高いほうがいいんだろうが、べつに共感できないからダメってことはない。というか、おっさんになってくるとティーンエイジキャラへの共感性能高すぎるのも問題っていうか、感情移入の深度はむしろ深まりつつ、帯域がごく狭くなっていくので、人間いっこぶんを形成するような大きさでの共感機会などほぼゼロになる、ふつうの作品においてすらそうだから、アニメ漫画ゲームになればなおさら。喉元過ぎた中二病の熱さのことを、夜中思い起こして布団の中でもがき苦しむことはあっても、今日のことのようには思い出す距離感を失って久しい。どんだけ遅くとも社会に出るくらいには人格形成の多様性も実感するから、むしろ自分と違う人間のありようを見るほうが興味深くもなる。むしろ「自分に似ているキャラクタのドラマ」ばかりに触れていると、気持ち悪いのでそうじゃないものに触れたくなる心理っていうか。自分に似ている人間からしか影響を受け取れないほど、我々の共感性能は低くないはずだし。

…というのとは別の話として、設定オタとして「非現代ドラマなのに、キャラクタが現代的な価値観や倫理観で行動する」みたいな展開を見てイラッとするみたいなのはあるんだよな。時代劇で現代感覚の説教をかまされる違和感だけはなんとかなっていただきたい。とはいえ、それはより多数に届けるために必要だと判断された結果ってことよなー。みたいな納得と譲歩は、やっぱ嫌いだ。そんなことしなくたって「いま我々が生きている世界がこんなふうではないことの喜び」とか「こんなふうではない苛立ち」とかの方法は生きてるはずだし。わざわざ違う土俵準備したんだから、違う法則がみたいね。