最近のインターネット
- こないだ書泉で見かけた「ニンテンドー DSi&Lite のすっごい遊び方」というムック本の煽りが笑えた。
- http://www.mediaboy.co.jp/c5/60601_84.html
- 「遊ぶぜぇ〜!超遊ぶぜぇ〜!」てやつ。すっごいワクワクしてそうな表紙イラストと相俟って、なんとも良いかんじのオーラを放射している。
- この数年、これほど「ゲームに対するやる気」をストレートに放射している小中学生を見たことがない。たしかに新作ゲームを与えられたら彼らは熱中するけど、なんかもうちょっと閉じたエネルギーってかんじなんだよね。この絵と「遊ぶぜぇ〜!超遊ぶぜぇ〜!」の組み合わさったワクワク感は、そういうものとは別だ。現在とか未来とか、時間軸とは別のなにか、可能性へ向けて突き進んでいるかんじがする。こういう表情を、ファイル共有とかマジコンとか無関係な、ただ普通にゲーム遊んでるだけという状況で見ることができれば、ゲームも元気あるんだなってかんじになるんだろう。
- オラクル不在問題て、おれが若オタ当時の気分でいうと「オラクルなんぞ要らんがな」なので、若いもん同士だけで好き勝手できていいことじゃんという感想になっちゃうんだよな。
- 兄貴分がいてよかったなーと思ったのって、具体的には数十万程度の予算がかかる学生イベントの運営に参加したときが最初で、やっぱお金が絡むと失敗したとき大変なので、雑多ノウハウ溜め込んでるひとを素直に敬う気持ちになるっていう。
- いま求心力があるとしたら、「愛したものが道具だった」みたいな苦悩よりは「最初から道具とわかっているものを、しかし愛してしまう」という苦悩のほうじゃないのかなと思った。
- なぜおれはキャラクタ名を覚えないのか問題
- 名前覚えられんから立ち位置とか属性とかで覚えるわけだが、立ち位置とか属性ってゆるやかに変化していくものだから、それで認識していると像が歪むんだよな。その歪み方にはかなり自覚的というか、むしろ「歪まねーかな」と期待しているようなところがあるから補正きつくて、楽しんでもいるのだけど、実際には硬直度的な作品が多いことによって、なし崩しになんとかなってしまってるという状態。
- いや、違うな。マニュアルどおりな反応しかしないものはサービスとしてしか認識せず、固有らしい反応や変化を感じ取れたときに、ようやく識別できるという話か。名前を認識させないレジ係は優秀なレジ係、名前を認識させるキャラクタは良いキャラクタと。いやせっかく時間かけて作品楽しむんだからキャラクタの名前くらいは覚えろやという話もあるよな…。
- 仮に mixi が 100 年後まで残ったとすれば、最初のほうの数百万〜数千万のアカウントは全員死亡していて、そのアカウントのマイミクリストもほとんどが死に絶えてんだろうかな。死者同士の人間関係ってどう見えるんだろう。葉脈の化石のようなものか。