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デミヒューマン東西

プリンのおばけ

日本のファンタジーではデミヒューマンはだんだん減ってるのに対して欧米ではむしろ増えてるような気がする。なんでだ。

という青木摩周氏の発言をみて「おお?そういえば」と思ったけど同時に違和感もあったので、ちょっと考えてみた。

  • 「欧米のファンタジー」として想定されるのは、近年再度の黄金期を迎えつつある洋モノ RPG においての印象かな。こんな種族でやりてえのか、と思うようなへんな種族を選択できるのが普通、という感覚は確かにある。
  • いっぽうで「日本のファンタジー」といわれておれが真っ先に想定したのは「なんで最近妖怪モノ増えてんの?」(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20081016#p1 前半あたり)というれいの疑問のほうで。まあ妖怪っていうか、妖怪&お化け&道祖神&土着宗教&都市伝説的ななにかのごった煮。おれの認識だと東方シリーズとかも妖怪カテゴリになる。

ゲームとして。

  • あからさまに外観が人類ぽくないデミヒューマンといっても、まあ腕が二本に足も二本、頭はひとつで胴体もひとつ、みたいなパーツ自由度ではそれほど和洋で違わない気がする(でも、ガイジンが好きすぎる意味不明の不気味クリーチャーに近付きすぎると、おれの SAN 値が急上昇して本能的に観測範囲から除外するので、そっち方面について見えてないだけかも。SPORE とか)。おれがイメージしたのは「肌がウロコ」とか「顔がケモノ」とかそういう意味での「人類には見えない」系。日本の場合、ちょっと耳が長いだけとか、ちょっとムキムキとか、ちょっと幼児体型とか、まあ人間カテゴリでゴツいのとかかわいいのとかそういうアレンジ。Phantasy Star にはロボ居るじゃん的なアレも当然あるんだけどまあ。
  • あと、ロールプレイという意味では洋ゲーも人間中心的だと思う(自分が作ったキャラの見た目ほどには、彼らも「人間らしくない RP」をしていない)。あと、ゲームの亜人の人間度でいえば、日・米(&欧)というよりアジア・欧米という比較のほうがいいかも。東洋産 MMO で亜人というと、クリーチャー度低いのが一般的だとおもうし。
  • 亜人度の高いデミヒューマンが出てくるゲームといっても、パラメータ的にはそんな無茶苦茶違わないというか、スキル割り振り次第ではほぼ同じような使い勝手のキャラクタとか作れたりもする。ひっくり返すと、見た目が見た目にすぎない「大きなシステムの中での、パラメータの変化で表現可能のキャラクタ」として扱われるがゆえに、外観の自由度を高めにしているんじゃないかなーという気もする。いっぽうで、(旧来的な)和ものゲーとして想定されるのは「種族の違いがシステム的にもかなり大きく表現されるゲーム」になるんじゃないだろうか。「妖精を選ぶと空を飛べるから別ゲー」「エルフを選ぶと「エルフの目」システムで暗所や遠いところも鮮明に描画されるモードが」「トカゲ人間を選ぶと、一定時間以上水場から離れると死ぬ」みたいな、特殊能力と枷の抱き合わせで差別化しないと、わざわざ種族分ける意味ないんじゃないだろうか的な。ゲームと web が溶け合うと、アバターみたいな考え方が出てくるからアレだけども。

異種族 vs 妖怪。

  • 和ものにおける妖怪ものの傾向としては、「人間社会」という中心の揺るぎなさに対する、「マイノリティの集合(同族がきわめて少ない者たちの小社会)としてのもののけ共同体」みたいな構図が多い気がしている。そこには「世捨て人」「流れもの」「はぐれもの」「のけもの」などの生態が表現され、それが自意識をこじらせたり持て余したりしたオタ読者の感情投射先、あるいは受け皿のようなものとして機能してゆくという流れがある。
  • いっぽう異種族としての亜人が溶け合ったファンタスティック世界というと、ようするに作品内の種族が現実でいう民族で、種族それぞれにそれなりの完成度をもった社会生活があり、それらが入り混じった「合衆国としての世界」みたいなものが想定される。ゲームに登場する亜人は、少数である場合にも、妖怪ほどにはマイノリティではなく、少なくとも(人類社会などと)集団として協力や衝突ができる程度の規模は持っている。まあ自由に設定可能のゲームキャラクタには、ユニークな存在であるという属性付与はむずかしいから(MMO のキャラクタは原理的に「選ばれた英雄」になれない)、自然とそうなるという話か。

なんで亜人少ないの?

  • 国内におけるクリーチャー絵師とかケモナーのひとたちのプレゼンスが下がってるという話なのかな。なんかそんな気はする。べつに亜人・獣人デザイナの技量が落ちたとか数が減ったとかは、思えないんだけど。クリーチャー絵師て相変わらず上手いひとしか居ないような気がするし、獣人絵描きも減ったようには…いやもとから多くはなかった、の、か…?
  • ケモノ好きなひとには相応のケモナー界隈というものが存在して、彼らの嗜好はその内部でわりあい完結してしまっているので、外側までなかなか出てこなくなった、みたいな話もあるかも。
  • プレゼンス下がったのかも話には、「オタクは漫画は描けるけど絵は描けない」問題みたいなのと同様の、「オタクはキャラは描けるけどキャラ以外は描けない」問題の表出としての、萌え擬人化(キャラとして楽しみたい消費者とキャラしか描けないオタ絵師の共犯関係)ブームとかも微妙に合流してくるのかもしれない。亜人・獣人は、描くのがむずかしいよね。「それ以外のキャラ」とは描かれるコードがかなり違うから、オタ絵だけで考える場合には、それらを描くため専用の練習が別途必要になってくる。
  • 歌の場合の「カラオケブームの前後で歌謡曲のヒット動向には変化があって、カラオケ前は技巧的な歌もヒットしたけど、カラオケ後には素人も歌えるような歌がウケて、玄人向けな歌のパイが小さくなっていった」的な俗説をオタ絵に当てはめると、クリーチャーとか獣人とかは「カラオケが好きな素人」に対応する「キャラを描けるオタ」にとってはかなり敷居の高いジャンルってことなんじゃねーかなという話に。ようは同人やネットでのウケ方が人気バロメータの一種として捉えられはじめる前後からの、空気的な情勢判断のルール変更で、盤上中央からは押し出されがちなのかもなーという。

まあよくわからん。