matakimika@hatenadiary.jp

WELCOME TO MY HOME PAGE(Fake) ! LINK FREE ! Sorry, Japanese only. 私のホームページへようこそ!

最近のアニメ - 鉄腕バーディ DECODE 02 関連

バーディについてずーっとうだうだ考えていて、一言でいうと「バーディ 02 はすごく良いアニメだった、しかも「おっさんオタが懐古的に安心して見れるから」という意味ではなく、現在形のアニメ作品として良かった」という結論になったのだが、それを書く前に、バーディ 02 は残念なアニメだったということについて書いておかねばならない。

  • 二期の初期展開にはすごい期待感があって(初期展開の期待感の高さのわりに盛り上がりに欠けたシリーズといえば「ミトの大冒険」第二期とかもか)、おいしそうなネタがちりばめられていたのに、結局そのほとんどは芽が出ず、終盤に向けて感動のない枝打ちが行われたように思えた。まあ肝心なところはちゃんとやったのだから、いいんだけど、もっとうまくもやれた話だったんじゃないか、という期待感の裏返しが。
    • バーディは第一期にしても「なんかシリーズ構成がへん…っていうかあんま最初からガチガチに設計してなくて、途中でコロコロ転がってる印象だなあ」というかんじで、でもまあなんとなくおもしろげな題材を盛り込んでまとめてあったので、それでよかったんだけど、第二期はそのやり方があまり成功せず、結果行き当たりばったりな印象が強く出てしまっていると思う。
    • 10 話の「当初はいろいろ話広げようかと目論んだんですけど、あんまうまくいきませんでした、このままだと収拾つきませんので、かなり切り詰めた想定で、まとめに入ります」感は、ちょっとこれはかわいそうだろうと思った、見ながら「えー」って思ったもん。
    • まずカペラの逮捕。カペラは、そもそもこの女なんで第二期にも出てきたんだ、というくらいまったく出番がなかった。見せ場といえるのはイルマを救助した一回だけで、それもキャラクタやストーリーの展開に意味を与えたとは言い難い(カペラが居なかったとしても、適当な展開でどうにかなった気がする。「居るから出しとけ」程度の意味しか見出せなかった)。そしてタセラの死。あれはかわいそうだよね。戦意喪失しようとも因縁からは逃げられない、という悲惨さみたいな描き方でもあるし、逃亡者たちの中でのタセラのあり方、彼女の迷いや選択にはそれなりの(そして終結へ向っていくナタルのデモンストレーションとして)意味があったと思うんだけど、「クライマックス要員じゃないので片付けときますね」というかんじの「残虐性以外の冷酷さ」によって、サクっと整理されてしまったように感じられた(一応無理のない筋合いにしてあったけど、発見のされ方が「たまたま」すぎるだろう)。
  • 当初におれが期待し想定した第二期の展開は、具体的にいえばこうだ。
    • 宇宙官憲の手を逃れ地球に潜伏した異能の宇宙テロリスト七人衆!迎え撃つバーディと、テロリストを追って銀河中央より飛来する宇宙連邦捜査官のエキスパートたち!さながら宇宙忍者戦の様相を呈する地表に網目のように思惑を忍ばせる現地アルタ人コミュニティと中央政府の陰謀!その地下で暗躍する宇宙マダムとその手先、さらにはバーディ以外の未確認イクシオラが加わって…。
    • …とまあ、普通に考えれば山田風太郎甲賀忍法帖」と富樫義博「HUNTER × HUNTER」のヨークシン編あたり、を足して 2 か 3 で割ったような展開が期待できるんじゃないかと思うわけなんだが、実際にはそうならなかった。増援は来なかったし、テロリストはべつにものすごい宇宙忍術を極めたりしておらずちょっと頑丈とかちょっと力持ち程度で、不甲斐なく各個撃破のマトになり、全部ナタルが持って行ってしまったという。まあ見てるうちにだんだんと、そのての「マンガ的おもしろさ」みたいなものを、本作に期待したいというような気分は無くなって、ただ起こるままの事象を楽しみたいというかんじになったから、べつに落胆とかではない。ただ、(ものすごく準備が要るんだろうけど)そっちにも行けたのかもしれないものが、行かなかったのだなーとは思った。
  • ところで第一期の最後に出てきた、思わせぶりな女ボスっぽい宇宙マダムが、第二期では今度こそ本格的に絡んでくるんだろうに全然出てこんなーと思っていたんだけど、よく見返すとこいつクリステラ・レビじゃん。第七話で声だけ登場、ということになる。一応決定的な絡み方をしていた、とはいえるか。第一期の一話の時点でゴメスの「あれの管理は任せたが、クライアントはレビ様だということは忘れるな」という台詞があり、正体は視聴者に全然隠されていない(再視聴してようやく気付いた)。陰謀メインで考えれば主要キャラクタだが、アニメではそこは描かないってことか。
    • このアニメ、設定の取り扱いがかなりテキトーなんだが、しかしその設定部分のキメ細やかさは明らかにギャップで、たとえばクラスメイトの千明(ハヤテの声のひと)について、本人がどこまで気付いてるか不明だけど宇宙人(の末裔?)であろうと推測できるシーンがあったり(一回目はイルマの自宅訪問、二回目は学園祭の占い)、種は撒くんだけどとくに回収しないという設定バラ撒きが多くて、あれは何なんだろうと思って詳しいひとに聞いてみたら「設定の基本的な部分は原作どおりで、それをアニメ版では適宜崩して活用してるから、そのへんでヘンに感じられるんじゃないかな」とのこと。なるほどねー。ゆうきまさみ氏漫画なんだからどうせおもしろかろうし、原作よみたくなってきたよ。

ところで、これもどうでもいい部分なんだけども一応気になったポイントとして、10 話での学園祭準備シーンで「なんでこうアニメにおける学園祭準備シーンて、こんないちいち気合入ってんだろうなー、ハリボテのサイズが異常にデカいし、絶対に廊下を台車が走るし…」みたいな、文脈をいちいち説明しはじめると面倒な屈託を覚えたのでそれもメモしておこう。ゆうきまさみ氏の場合モロに「究極超人あ〜る」がその世界であるし、押井守氏の場合にも「うる星やつら」における過剰に派手な学園祭ノリとかがあったし(←なんでここで押井氏が出てくるのかというとヘッドギアつながり)、なんかこう「アニメで学園祭といえば異常に気合が入ってないといけない」みたいな「空気の読み方」みたいなものがあって、本作バーディの場合にはそこいらへんの呪縛からはかなり遠いアニメ化作品ではあったのだけども、一応せっかくの学園祭シーズンでもありますし、まあ「バルタン星人が混じった仮装行列」とかは勘弁ですけど、あってもおかしくない程度の「廊下の台車走り」程度は…まあなんとかひとつ…みたいな、「80 年代リスペクト的振る舞いの最低限の義務は果たした」感がにじんでいるような気がして、いやそれこそが過剰な誤読というやつなのかもしれないし、むしろ誤読であってほしいと思うんだが、なんかめんどくさい気分になったりした。

実際のところ、(高校以下の)学園祭で学校が華やいで見えるその一番の外見的理由は、当日校内が一般客入場可になることで、制服や教員服以外のカラフルな私服姿のひとたちが流入することだと思うんだよね。看板とか飾りつけはそれを補助するもので、人間が華やいで見えないことには本番は始まらんというか。でも学園祭はだいたい前日夜までが一番おもしろいということになっていて(まあ実際おもしろいわけだが、そのおもしろさはもうちょっと裏方的に地味で荒っぽいものだ)、アニメでそれを表現しようとしたら、前日以前から当日なみに絵的に派手な雰囲気になってしまうんじゃないかなという。