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最近のゲーム

  • BIO HAZARD とか METALGEAR とか、あらかじめ大しておもしろくはならないとわかりきってるものに、過剰にチップ積んどいて期待はずれだったとか失望する芸はうすら寒いからやめてくんないかなー。リアクション芸ってむずかしいから芸として成立するんだろうに。
    • そういうひとは自分の感じ方の変化に鈍感だから、思い出で判断してしまうって傾向があるかもな(屈託ないひとにとって思い出は常に美しいし…)。とはいえベットは自分の裁量だから、失望の責任を対象に押し付けるのは見苦しい話でしかないな。
    • とはいえ、いまさら掛け金を引き上げるわけにもいかなくなって、失望を押し隠したまま無理推しするのもまた見苦しさではあるわけで、えーと、やっぱおもしろくないものをおもしろいと言う行為には多大な精神コストが支払われるのだね、というような話になる。
    • そこを過ぎて逆に何にも期待しなくなるのは高二病というやつになるわけか。極端から極端にはしるのは中二病くさい気もするわけなんだけども。えーとこのへんか(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20080110#p2http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20080206#p2)。
  • 「ほかはどうでも Sumo Digital 社だけはガチだよねー」と post してたらポツポツ反応が。暮らしのうえでは Sumo 社ファンなんて 2 人くらいしか知らんのに、さすがにネットは偏向した範囲を観測できるぜ。
  • 「ブラヴォー」と「鉄槌」は、年に一度はをみとかないとなーと思うけど、年に二度見ると胸焼けするし、なかなかむずかしい。
  • 2008 年は、ネットのひとが壊れていく過程を見る年でもあったので、振る舞いの連続性に多少の違和感があっても、どちらかといえばそれが「本人が壊れていった結果」であってほしくはないという願いのほうが強く出てしまう。
  • ダイハードトリロジーを見ながら「ダイナマイト刑事のほうがおもしろいっすねー」と、たぶんピュアに発言したのであろう後輩の声の調子が妙に耳に残っている。
  • 「美人には深い内面がありそうに見えてしまう(けど実際にはそんなことはない)」の心理は、美しいグラフィックには深い意味や叙情が宿ると錯覚することからきてるのかもしれない。事実美しいグラフィックは「まるでそれがあるかのように錯覚されること」を期待されて描かれるわけだけども。その錯覚分の奥行きが実際に考えられていたのか、それとも単なるハッタリだったのかは、当事者でないと判断がむずかしい。またそういうのと別に、「作者(にその意図がなかったこと)など知ったことか、おれたちがそこに真理を見出したのなら、たとえそれを意図したうえでの被造物でなかったとしても、おれたちに見出された瞬間にそれは出現し、固着したのだ」みたいなオタ弁論の技術が独自の発展を遂げたりなどして、わりと世の中がややこしくなり。そのややこしくなり方は嫌いではないから、不都合(つまりテーブルを囲んだ誰かが NG ワード「コンセンサス」を唱える瞬間)が生じないかぎりは、経過を見守るのはアリで。