感性を疎外しない関連
あんま真面目につなげていないあたりを適当に。
- 「感性を疎外しない」勢は Apple 社製品ファンコミュニティにおいては中核(あるいは先鋭)を形成しているように見え、機能としてしかそれを見ようとしない新参に反発している。つまりこうだ、「信仰なき購入は罪である」。
- じつはこれに近い状況は数年前 Wii 周辺で起きているのだが、そのときは構図が逆だった。「感性を疎外しない」勢に相当する Wii オタ(適宜「新しいインターフェースの可能性」勢や「直感的なインターフェース」勢などと呼ぶ)は帝国に侵入してきた蛮族であり、任天堂ファン中核であったとはいえない。このとき現象に押され流入してくる蛮族へ、中核からの反発が少なかったのは興味深…くはないなべつに。
- 企業のくだした情勢判断に基づく選択に、外部が寄ってたかって「正しさ」「美しさ」などの思想やストーリーをラッピングしていく過程は興味深いが、それがラッピングに過ぎない以上、彼らの夢見る正しさも美しさも一過性だ。神様あたりは炭素生命体にはそれがお似合いだとか言うのかもしれない。
- 似たような過程は作品消費のシーンにたくさん見ることができるのだが(オレンジレンジファンとか図書館戦争ファンとか)、ストーリーでなく道具でしかないものを巡ってそれが起きるというのが新しいのかもしれない。というか前述のとおり、ラッピングされた道具はストーリーとして扱えてしまうわけだ。
- ユーザコミュニティにプレゼン資料を適当にバラ捲いておけば、あとは勝手にみんながあちこちで辻プレゼンをおっぱじめてくれるという理屈。使い方はネットに露出してる社長の講演などで適当に補完と。