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Geometry Wars : Retro Evolved 2

Pacifism モードのなにがおもしろいのかというとー、妄想自由度が高いという部分かな。アンティークなビデオゲームはスペック的な事情によってアブストラクト一択だったわけだけど、レトロ(=新しいんだけど古い雰囲気を作っている)なビデオゲームの場合は「何でも描ける時代に敢えてアブストラクト」という選択だから、同じ状況設定ではない。アブストラクSTG 全般的な傾向として「アンティーク:ストーリーや設定がちゃんとある」「レトロ:ストーリーや設定が存在しない場合がある」みたいな区別がある気がするな。

もうちょっと噛み砕く。往年はグラフィックがチープなぶんだけ補完要素として、ストーリーや設定などを便利に活用していたという事情もあって、それらが存在しないということはほぼない。対してグラフィック性能的に不足がない世代なら、ストーリーに相応しいグラフィックを付けると必然的にアブストラクトな雰囲気から遠くなり、一方敢えてアブストラクトな雰囲気を選ぶ場合は「その雰囲気に合った(主になんかサイバーくさい)ストーリーをつける(例:SANVEIN や Rez など)」みたいなケース以外に、補完要素などつけずグラフィックそのままの「想像力を働かせないのが逆にイイ」みたいなかんじにまとめる路線が出てくるというか。これもまたひとつの「逆にアリ」の方向性か。という意味で、背景のないアブストラクトゲーは「新しいゲーム」といえそうだ…けど、どうかなー。インベーダークローンの電子手帳ゲーとかの移植モノとかだと、ストーリーとか特にないやついくらでもありはしたか。「とにかく宇宙からの侵略者をやっつけるゲームですので」みたいなメタ感覚。

ともかく、抽象グラフィックはそこに妄想の余地を生じさせるという性能が本来的でもあるわけよ。で、Pacifism はそこいらへんで妄想がやりやすい。というのは、数学的な空間が宇宙や銀河であったり、自機が女性型アンドロイドが乗っている人類最後の希望の宇宙戦闘機に見えたりするとかいうゲーム世界に対するそれではなくて、ゲームルールに対して生じるシーンイメージの想像力で、この応用範囲が広い(もちろんイメージを自由に当てはめるため「公式に明確なストーリーや設定が存在しない」という前提条件は重要)。Pacifism は「弾を撃てない」「ゲート通過時に生じる攻撃判定で至近距離の敵だけ倒せる」というルールで、これっていわば「勝負の機(=ゲート)」の可視化なのだ。自機・敵集団・ゲート群という三つの位置関係とベクトル、距離感。敵群をどう誘導して、ゲートをどのタイミングでどう使うか。その時空間の推移に対しては、ほとんどあらゆるストーリーを当てはめることができる。ゲート通過は文字通りのブレイクスルー。淡々とイベント消化しとくか山場として盛り上げるかはプレイヤ次第。自機の軌跡が、そのまま山あり谷ありのストーリーラインとして当てはまる。あるときはスラムダンク、あるときはガラスの仮面、またあるときは頭文字 D、はたまたあるときはママレードボーイ、とかなんとか、なにせ抽象的だから「さっきのはドラゴンボールでいうとベジータ戦くらいのピンチだったなー」とかそういう当てはめが。

で、そんなこんなあれこれ妄想して遊んでいるんだけど、だんだんそれも剥がれ落ちていって、最終的にはまったくなにも考えずにただ記号としてのグラフィックだけを目で追っている状態になる。誘発された雑念が電子の海に溶けて脳が解放されていくかんじ。「風呂入ってサウナ入ってからもう一回風呂に入ってる」ようなかんじか。ゲーム脳ってこれかなーみたいな。