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最近の読書 - 北方三国志再読

五巻読み終わり、六巻に差し掛かった。袁紹が思う存分負けの味を噛み締めて死んだが、まだまだ河北四州は曹操のものになったわけではない。北伐もある。官渡の戦い下準備に一冊、本番で一冊、後処理はこのぶんだと二冊弱くらいか、官渡はやはりひとつの決戦だった。負けの味といえば、張衛も負けた。ついでにいえば、袁紹がしくじった世継問題を曹操も抱えはじめた。こうした反復の巻だったといえる。なんかアメリカの TV ドラマみたいな構造かもしれない。いやアメリカドラマの場合テーマの反復は、「社会的な問題」と「似た構造を持つ家庭の問題」みたいな大小の対を一つのエピソード中に絡めていくようなかんじなので、北方三国志の場合の、同じような問題だけど状況が違うので分岐するみたいな描き方とは違うから、似ていないか。どちらかといえば、書きながら「そういえばこっちにも似たようなのがあるからまとめて書いとくか」みたいな流れでこうなっているのかもしれない。

袁紹の負けの噛み締め方は切なかった。もはや天命がない。しかし負けて死ぬのが哀れだったり、それによって袁紹の印象が変わるのかといえば違う。善人だろうが悪人だろうが後悔も反省もするし、どうしようもなさに一人もがき苦しむこともあるというだけのことだ。それが何なのか理解し、しかし認めるか認めないかは別問題で、ただ袁紹は受け止めきれなかったのかもしれないな。死につつ諦めたのか、死ぬから諦めざるをえなかったのかはわからないが、わけがわからないまま殺されるのとも、わかって死んでいくのとも違い、なんともいえない最期になった。それと比べて張衛の負けは、むしろ良いきっかけになった。しかし時期がよくない。再読だから、おれはこいつの最期を知ってしまっている。そう明るく読むことはできない。張衛にはなにが足りなかったんだろうなと、いまから考えている。土地もよく、運には恵まれ、時期が良かったから大きくなれたというのはあるが、雄飛するには時期がことごとく遅かったということがある。環境にも縛られたし、自由になった頃には趨勢が決まっていた。どうしようもなさだ。しかし。

一方で張飛は愛されキャラとしてオリジナルエピソードをバンバン追加してもらって幸せ絶頂。張飛と比べると関羽はいまいち愛され度が足りないよな。やはり北方氏的には冷たいデレより熱いデレということか。ここから北方三国志最大のクライマックスであるところの、豚の野戦料理シーンにつながっていくのかと思うと感慨深い。