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最近の読書

北方水滸伝の五巻が出た、と聞いたので即座に買って読み終わった。なんだか毎月楽しみなので今月はもう四回くらい本屋に行って空振りしていたのだった。五巻はのっけから盛り上がって盛り上がりっぱなし。一回収束するけどそこからがまた大山。とにかく激動。そしてうおお。そこから怒涛の大状況へ。一息に読ませるのが力量であり手腕だ。これこのままの勢いでなだれ込むのでこう読めているんだなあというような情感が。無我夢中の男が走り、北方三国志ではほとんどみられなかった「主観側が苦戦する(三国志の場合、ジワジワ押されて破られるとかでなく、負けるときは一気に負けるかんじ)」という描写も新鮮で、長く先が見えず呼吸の苦しい長期戦の緊迫、一転北の果てでの孤軍奮闘→冒険、さらに東の波乱、視点が遠くなったり近くなったり、背中を追ったり群像になったりしながら、畳み掛けるように人物の生き様死に様が描かれる。おいおいこんなところでこいつが…とも思ったが、しかし北方三国志読んでた当時の日記をみると、六巻冒頭の時点で「孫堅が死に、董卓が死に、呂布が死に、孫策が死に、袁紹が死に、馬超が出てきた。張衛は相変わらず岩の上で半裸」(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20060111#p2)とかそういったありさまであり、このような世界で人物はわりあい序盤からガンガン死んでいっておかしくないわけよなと思い直したりした。

現在とりあえず五巻を二周目。今回ちょっと公孫勝が萌えキャラ化しているよな。