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最近の読書 - 北方三国志再読

四巻まで読み終わった。三国志は展開早いからどんどん死ぬね。いや水滸伝も死ぬ勢いでは負けていないか。でも北方水滸伝の場合主要キャラが死にはじめるのは中盤以降なので、四巻の時点で死にまくっている三国志の序盤戦の印象はやはり激しい。死に死に死に死んで死の終わりに冥く、生まれ生まれ生まれ生まれて生のはじめに暗し、みたいな。生死の順番逆か。いま検索してみたらこの格言は東方なんとかシリーズでも使われてるっぽい。おれが知ったのはアニメ版帝都物語の四話が最初だったな。

  • 袁紹、負けたなー。官渡の戦い。勝つべきいけすかない巨人が勝たなかったなー。袁紹は、好きになれるキャラクタとして描かれていないんだけど、それがゆえに、今回はかなりおもしろく読んだ。その他の群雄は、持ってる情報量の違いはあれ、かなり似通った世界観を共有しているんだけど、袁紹視点の場合ほかのキャラクタの世界観とのズレがかなり大きい。ほかでユニークな世界観を内在させていたキャラクタといえば呂布だが、これは要素の少なさや割り切りの良さが際立っているだけで、大局では違いはないというかんじだった。
  • でも袁紹の場合、「こいつの認識は間違ってるな」と読者にわかるような形でズレてる。読みはむしろほかのキャラクタを圧して大きく、広く、細かいのだが、なんというか、空気読めてないんだよね。時代の。内心の人物評の暗さも、「こいつ一人だけ歪んでるなー」という印象を強化する。
  • いや一人だけってのはまた違う。もっとどうしようもない雑兵キャラは、哀れなほど歪んだ世界観で行動して破滅する。袁術とか。内面描写どころか、まともな登場シーンは一巻「諸侯参集」に一回あるだけで、寿春を拠点にした絶頂期にあるときにも結局一人称視点カメラが回ってくることはなかった。そういうのと比べて袁紹は、空気を読めてないのにもかかわらず最大勢力を築き上げるほど、やはり偉大な男だった、ということだ。
  • で、まあ官渡で負けたらあとは死ぬだけなんだけど、やっぱ惜しかったなと思う。勝ってさえいれば、乱世の空気とか無関係に天下取れたんだよ袁紹は。むしろ「おまえらこれまではしゃぎすぎだったな。これからはおれの空気を読むんだよ」と世界に強いることができるわけだ。それが天下を取るということなんだから。キャラとしていけすかなかろうがなんだろうが、安定して国を治めただろう。負けちゃったけど。その力はあった。破滅する以外見せ場のないキャラではなかった。
  • 官渡の戦いって山場だなーって思っているわりに全十三巻の中でいうと四巻時点で終わっちゃうから、やけに駆け足だなという印象があったんだけど、今回そうでもないなと思いなおした。三巻がまるまる一冊分、官渡の戦いの前哨戦になってるともみることができた。袁紹は、とにかく謀略が全部潰れるまで決戦をやらないので、その謀略が全部潰れるまでは準備期間という。呂布も死んだし孫策も死んだ。劉備はあっち行ったりこっち行ったり。

あとは、主に曹操張飛関羽などのキャラ描写などみつつ、用語「ツンデレ」について漠然と考えたりしながら読んでる。用語「ツンデレ」には大きく「以前ツンツンしていたのが、あるイベントをきっかけにしてデレデレに(時間経過不可逆)」と「公的な場ではツンツンしてるけど、私的な場ではデレデレ(公私ロール反転)」の二つの解釈と、あと原点回帰論的に主張される「外面ツンツン内面デレデレ(態度的には永遠にツンだが内心は(途中から、あるいは最初から)デレ←「ぼくたちの好きなツンデレにデレ期は不要」派)」の、合計三つの流れがあるわけだけど、関羽張飛はかなりわかりやすく原点回帰的ツンデレといってよく、人材大好きだけど「男の子と違う女の子って部下と敵だけで盟友がないの」といわんばかりの曹操はデレツンってかんじかにゃーとか(独立心の強い英雄たちのハートを射止めることができず敵に回してしまうあたりかなり魅力的!)、あと敵対勢力に降伏する武将全般は時間経過不可逆型のツンデレってことでいいのか。それでいうと劉備は「おれは帝以外の誰にもデレぬ!」みたいなポリシーと説明できるかなーとか。

同時期に三国志原案の萌えアニメとか見ながら読んでるとロクなこと考えないな。