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人狼 JIN-ROH

なんか最近異常な回数「人狼」を見ている。きっかけは「図書館戦争」を見るときに生じる違和感を補正するためとかなんだけど、そういうのではなしに、この映画大好きになっちゃったよ。なにかを見ては「口直しに」とまた人狼を見るというかんじになってるので、もうなんかすべてのアニメを人狼基準で見ているような気分に。仕舞いにはプリキュアとかまで人狼とセットで見るようになって、TV アニメ消化にやたら時間かかるように。いや再生しながら本読んでたり寝てたりして、ある意味「らき☆すた」鑑賞に近い形態だけど、それよりはかなり画面に惹きつけられてる感覚がある。だからといって、何回見ても感想みたいなものは湧いてこない。感想が湧いてこないものこそが、いまのところは、おれの中での「良い作品」ということに、なっているような気がする。というのは思考が停止してるんだけどまあ。漠然とした気分みたいなものはある。表面張力で揺らいでいるような。あともうしばらくやりこむと、人狼見て泣くようになるのかもしれないなー。

  • 冒頭の赤ずきん図書館戦争主人公のリアルってこんなかんじかにゃーと仮定するとかなり気分が重たくなる。まあキャラ的には、どちらかといえば泉野明(というか原田知世氏)に見えるんじゃけど。あの赤ずきん少女が見た走馬灯としての図書館戦争だとしたら、なにもいえん。どんな時代・仮想世界にも幸不幸は想定でき、しかし時代の不幸を癒すことは他者にはできない。
  • ところで泉野明といえば劇場版パト 2 の「レイバーが好きなだけの女の子でいたくない」という台詞があまりに有名で、図書館戦争関連妄想でも「笠原が「あたし、本が好きなだけの女の子でいたくないの」とか言うかんじかなー」とか適当ぶっこいてるわけなんだけど、でもあの台詞って、野明がそれまで長らく展開していたパトレイバーという作品の中での立場と決別する台詞なわけだから、むしろ一番野明らしくない台詞なんだよねと K さんが指摘していて、なるほどと思った。たぶん野明というキャラクタがパト 2 なみの存在感を持てるメディアというと、ゆうきまさみ氏による漫画版の野明ということになるかと思うんだけど、でも漫画版の名台詞ってあんま記憶に残ってない。
  • それにしてもこの映画の女子はミニスカ生足が犯罪的で良い。結構アクションするけど決してパンチラしないところも自閉的なエロスを感じさせてナイス。微妙にサークラっぽい雰囲気のある姉役の演技とかも。作品全体としては時代空気とか陰謀ドラマ分とか濃厚なんだけど、そういうの抜きにしても、若者宙ぶらりん映画として第一級だと思うよほんま。
  • 人狼非パンチラシーンでいうと、滑り台のシーンと並んで重要なのが、マンホールから顔出して赤ずきんに爆弾を渡すメガネ青年のシーン。カメラ位置からはパンチラしてないけど青年の視点だとたぶんパンチラしてる。そこで足元に気付いて視線を上げて(ここでパンツ目撃)、顔を伏せ(このとき「重い荷物を持ち上げるため」だけにではないように、視線が一瞬横に逃げることに注目!)、また視線を上げるときにはもう決然として戸惑いがない、というそのプロセスが細かい。
    • インテリから出発して活動家になってはみたが、無精ひげまみれの顔にもまだどこか微妙に線の細さが残っている。だから年頃女子のパンチラとかは苦手。シャイなんだよ。でもおれはいまや立派にハードな過激派ゲリラ、銃器で武装し爆弾を運んで人殺しをやっている、そこいらで石投げてるニワカ野郎とは違うんだというマインドセットで持ち直す。女のパンツなど関係あるか!というその決意だ(こういう時代設定なので、赤ずきん部隊は物資運搬だけじゃなく、セクト内で慰安婦的にも扱われているんじゃないかと推測でき、てことは肉体関係もあったりするんじゃねーかという部分を織り込んだうえでも敢えて、みたいな意志の集束としておれはこのシーンを見るね)。
    • そういうメガネ青年の芝居があったうえで、爆弾を受け取るためしゃがむ時カメラに対して腰を横にしてパンチラを避ける赤ずきん少女の芝居がまたイイわけよ。もはやフェティスズムだぜある種の。
    • で、地下水道で最初に線が切れて発砲しちゃうのもこの兄ちゃんなんだよねー。なんか憎めないわ。秀才だったんだろうなあ、将来を期待されたりとかしてたんだろうなあ、中学あたりまでは学級委員長とかやってたのかなあ、みたいな。
  • 主人公(伏)の声って元同僚の F さんの声ソックリだ。喋り方も声質も。そうかーだから妙に身近なかんじするのか。
  • クライマックスでヒロインが自分の気持ちを全部台詞で解説する場面があって、これなー、まあなー、みたいな、オタなら一度は通過する「映画デビルマンとか CASSHERN とかの惨状をみるまでもなく、黙って背中で語るのがハードボイルドでべらべら台詞で語るのはフニャチン野郎の所業なのだ、といいつつも語らずに描くことへの執着こそ捨てるべきなのだ、というマッチョイズムもまたあるし、実際提出されない問題は存在しないも同然であり…」的な忸怩たる気分がないでもないわけなんだけど、でもあれだ、人狼の場合「そんなことまで台詞でベラベラ喋るのかよ」というシーンは別にこのヒロインの告白だけじゃなくて、あちこちあるんだよね。そもそも冒頭のナレーションにしてからちょっと饒舌すぎるんだし。序盤の首都警幹部の密談上での台詞「俺達が相手にしているのは気紛な犯罪者でもなければ狂暴さが取柄のごろんぼうでもない(略)」とかも、「脚本でセルフつっこみしとくから、説明的な台詞は全部言わしたれ」感の部分で通じてるよな。直後に「言われるまでもない」という巽の RP は、イノセンスの場合トグサに「そろそろ仕事の話をしようか」と言わせる押井氏の生み出すアングルと、似て非なるものだ。