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ぼくらの図書館戦争

図書館戦争のアニメを見ていて原作を読んだことはない。で、このアニメは見ていて高品質だしいいかんじなんだけど、でも根っこの部分でイライラが募ってあんまりしあわせになれなさそうだなーという感覚があることについては以前に書いた(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20080418#p2)。で、具体的にどのへんについてそういう感覚を持っているのか、ということを、ちょっと考えたので書き出し。

  • 図書館戦争がどういう話だったなら我々が幸福になれるのかというのはハッキリしていて、つまり、原案:押井守氏、監修:伊藤和典氏、脚本:とり・みき氏、監督:神山健治氏で、2 クールのシリーズで展開すればいいのだ。主人公の声は田中敦子氏。同室の友人の声は榊原良子氏。
  • あらすじはこうだ(「人狼」冒頭ナレーションの改変)。
    • あの決定的な敗戦から十数年が経った正化 30 年代。高度情報化社会からの脱皮を図るべく強行されたメディア良化法がその実を結びつつある一方で、この国は多くの病根を抱えていた。強引な言論弾圧が生み出した情報難民とその図書館流入によるスラム化を温床とした、メディア良化委員会による図書館襲撃の激増、わけても歴史的惨事と言われた "日野の悪夢" の発生は、これに対処すべき警察の能力を越えて深刻な社会不安を醸成していた。
    • 自衛隊の治安出動を回避し、併せて図書館の国家公務組織への昇格を目論む内部の動きを牽制すべく、図書館は第三の道を選択した。図書館敷地内にその活動範囲を限定しつつ、独自の権限と強力な戦力を保有する防衛部直属の実動部隊・図書特殊部隊、通称ライブラリ・タスクフォースの誕生がそれである。
    • 迅速な機動力と強大な打撃力によって本の番人としての栄誉を独占し、第三の武装集団として急速に勢力を拡大した図書特殊部隊。しかし当面の敵であったメディア良化委員会が非合法化を含む様々な立法措置によって解体し、離合集散の末に良化特務機関と呼ばれる都市ゲリラを生み出すに及んで、状況は大きく転回することになる。
    • 図書特殊部隊と良化特務機関の武力衝突は熾烈をきわめ、時に市街戦の様相を呈することもしばしばであり、激しい世論の指弾を浴びた。電子ブック繁栄へ期待を向けて流れ始めた世相の中、図書特殊部隊はその宿敵である良化特務機関と共に、急速にその孤立を深めつつあった。強化服と重火器で武装し、ケルベロスの俗称と共に武闘路線をひた走り続けた図書特殊部隊の精鋭達も、その歴史的使命を終え、時代は彼らに新たな、そして最終的な役割を与えようとしていた…。
  • もうねーめくるめく公安大活躍、二重スパイ、地下組織、騒擾状況、内戦勃発、みたいな図書館戦争。そんなのはいやすぎるがそれがいい!みたいな。
  • というか、とり・みき「DAI-HONYA」と映画「人狼 JIN-ROH」あたりを下敷きにして、あと仮想内戦モノ大好きっ子クラスタ的なエッセンスをダバダバ加えたキメラ作品として想定すると、だいたいなんでも魅力的に見えはするという話だ、が、でもやっぱりそれは違うんだよね。アニメ「図書館戦争」のなにが良いのかっていうと、そういう面倒くさそうな部分を取り払って、あえてライトに、口当たりよく、わかりやすく、寓話的に、描いてあることそれ自体なわけだし、おれが本作に感じている魅力はそこだから。べつに人狼見たけりゃ人狼みればいいし、DAI-HONYA 読みたけりゃ DAI-HONYA 読めばいいし、攻殻 S.A.C 見たけりゃ以下略、パト II 見たけりゃ以下略。
  • というか、設定だけ聞いたとき原作にもそういった方面へのオマージュとかがあるんだろうと思ってたんだけど、原作読んだひとの話では別にそんなことはないらしい。そうなのか。要素だけ抽出すると、おれにはそうとしか見えなかった…。
  • いろいろと見ていて不満が湧いて来るわけなんだけど(なんで内戦が起きてるのに世論はそれを容認してんだ・それにつけても主人公が単細胞すぎる・戦闘がリアルっぽいんだけどリアルじゃない etc)、そこいらへんの瑣末なことにいちいち引っかかっていても仕方ない。結局おれが一番イラついてるのは、「本を守るためにひとを撃つ・ひとから撃たれる」という不条理な問題設定だけを突然突きつけられて、答えを要求されてしまっているというその感覚に対してなのだ。
  • 出版が弾圧されるとなれば、おそらくはそれを弾圧する側も抵抗する側も、多分に政治的な立場で戦うことになる。それはとても具体的でグロいんだけど、ある意味他人事として納得できる話ではある。自分の命をかけたり、あるいは他人の命を奪ってでもぶん取りたいものがある、という理論化。けど図書館戦争の世界では、いまのところとりあえず提示されている基本的な抵抗のモチベーションが、ものすごく乙女ちっくなんだよね。「想いを守りたい」的なピュアさ。そのモチベーションに拠って、主人公は良化特務機関の人間に実弾撃ったりする。これがグロい。
  • 確実に死者の出る戦いをやってる世界で人間の居る方向に銃撃しといて、「殺すつもりはなかった」とかではあるまい。任務の過程で敵を殺すことがあったなら、たぶんそれを彼女は引き受けるということなのだ。そのピュアさの硬度がおぞましいのだよね。おまえが内面化してるその「ピュアさ vs 暴力」の寓話的軋轢に対して感想を持たねばならん(=感想を抱いてしまう)おれの立場は一体なんなのだという不快、ほとんど反射的な怒り。
  • それを見越してか、敵側の人間(良化特務機関のひとたち)は、いまのところ個性がないものとして描かれている。ほぼ匿名の雑魚キャラ。奥行きを持たないひとたち。イデオロギーの戦いではなく、ピュアが寓話で戦っているという図式をギリギリ成立させるお膳立て。でもそれは、おれにとっては不快どころか有難いものでもあるはずなんだよな。ようは、たとえば、主人公が回想シーンで検閲から守ろうとした本が滅茶苦茶政治的な内容の本とかだったらこの話どうなる?ってことだ。そんなキナくさい話なんかおれは全然見たくないんだ。そういうの全部脱臭してあるからこそ安全に見ることができている。でも脱臭されてて安全だからこそ不快さを感じてもしまう。

作品がどうとかではなくて、おれの不覚悟の問題なんだよねこれは。続きや展開が気になるのと、おれはこれを見るべきではないという気持ちのコンフリクト。せめて原作のほうを読んでみてから考えるかなあ。