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絆のイデア 2

奇跡のマイミク」てのを先日知った。

なんか干支とか星座とか携帯キャリアとか、どんどん条件絞っていっても自分と同じカテゴリに居るひと、という「奇跡的」な偶然によってマイミクを増やしましょうというムーヴメントであるらしい。わちゃー安い奇跡が来たなー、なんかこういう形式の奇跡探しって韓国とかで先例ありそうだなー、らへんがファーストインプレ。むかしからチェーンメールが流行ったり、100 の質問が流行ったりした流れで○○バトンが流行ったけど、それが 100 の質問的な自分語りメディアとしてでなくカジュアル化することによってコミュニケーションメディアになっていった、という流れで言うと、奇跡のマイミクってのはコミュニケーションの入り口を作りなおしましょうという運動であってわかりやすい。ただまあおれは mixi のアクティブユーザではもはや全然ないわけなので(一応ほぼ毎日ログインはしてるけどひとの日記読んで終わり)、自分で見たことないんだよねまだ。奇跡のマイミクて。どこでやってんだろうな。まあバトンとかも、おれの視界にはほとんど入らないけど SNS 各所でいまだに続いてたりするわけなので、そんなふうにおれが知らないインターネットは無数にあって遠いという話のひとつに過ぎない。…というのが前置きで。

ことほどさように現実はメッキくさい永遠だの奇跡だのにまみれている、という話がひとつあって。だけどねーおれは同時にこう思うんだ。本とかゲームとかの中にだけある概念にふりまわされて、あまつさえそれこそが「本物」でほかをニセモノだとまで断じてしまうような心理は、それこそおかしいんじゃないかと。むかし見たフレーズ、「深い絆で結ばれた仲間たちと広い世界を冒険する」と「ニセモノな美少年や馬鹿みたいに壮大な CG」の対比とか。深い絆で結ばれた仲間たちと広い世界を冒険するのイデアが、こちら側にあればいい。ないならば、それは対比ではなくて、どちらもが非現実ということになってしまう。

この話の前段階については、以前書いていた(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20070825#p1)。書いただけで、おれの中でまだ決着はついていない。この世に美しいものがあればいいなと願うことは大事だと思うし、それが彼らの目の前に立ち現れればいいなと思うけど、誰もが機会に恵まれるわけではなく、そして恵まれないひとほど夢を見たりもする。教育された美しいものが目の届くところにないことに、憤ってもなー、という気分はあるが、彼らにそれを信じさせてしまう力みたいなものの呪わしさとかも考えずにはおれない。いつか狗法使い氏に出会うことができ、「いまでも沢渡真琴を愛していますか?」と訊くことができれば、おれの中の結論は出るのかもしれない。どんな形であれ、それは永遠を研究している者の行く末のひとつだろうからだ。