最近のよしなしごと
- 「東京ラブストーリー」を当時苦笑でなくブリリアントなものとして見ていたひとってどこかに実在するんだろうか。
- ネットで自分のベタさを出さないまま絡んでくる相手は人間扱いしなけりゃいいだけの話だ。けどたぶんそこで「でもキャラ扱いはしないと処理しづらいよ」という部分があるんだよな。
- 日記が四日遅れ程度では挽回するモチベーションとして不足だ。というか一週間程度のディレイ+メモによる思い出しで日記を書くというのがおもいのほかおもしろい行為だということがこの半年でよくわかってしまった。疑似的に二つの時間軸を体感しているかんじというか。考えてみると、近過去のディテールを再現する行為ってそんな機会を意図的に持つくらいでないと普段絶対やらない。
- 「速読」を「軽視」と読み換えると Twitter 速読論議の一方の争点が整理できる気がするが、その争点は不毛なのでそんなところにまとめるべきじゃないよな。もう一方の争点は「ライフハックしてるオレカッコイイ?」とかそれらしいフックを投げといて顔色の変化をみればいいだけ。キョトンとしたらふつうのひとだからよし、顔真っ赤ならわかりやすいのでスマイル 0 円、目がマジだったらアレなひとだから遠ざける。
- ちなみに軽視されるひとは、「軽視されるだけのことをした」か「重視されるだけのことをしていない」のどちらかだなとしかいえないので、そこをいやがってもうざいひとにしかならない。
- というかその世界観で改善していってしまうと「重視されたいがために特定の界隈に粘着したり、なんでもいいから承認を得たいがために不自由な属性に依拠してみたり」みたいなアレになってしまうことが大方予想されてうまくなさげ。そのての欲望充足ツールとしては mixi とかがあるので使い方がどうこうってより使い分けで対処するのがスマートだろう。
- ネットは「それについての出力がなければ、それは存在しない」という世界なので、なにも出力しないことに意味が生じるのは、すでに多くの出力がある存在だけ。…まあそれを不安安心両面から喧伝してうまいこと利用しているのが web 2.0 の側面のひとつではあろうけども。
- もっとなんでも表現できるような文章力を得られればいいと思わんでもないが、べつに表現したいようなことは多くないので困らないし、表現できないものを表現できないことによって心底困ったということもない。
- ようするにおれが考えている「思いもよらない表現力」というのは、まるでそれが他人の考えであるかのように自分にとって思いもような考えを書き出してしまう力のことだろう。けど、それはよさげな他人を見ていれば自分でやんなくても得られるしな。充たされないと死ぬわけではない欲望については抱きつつ待ちぼうけるだけの忍耐力を得たまたは感受性の湿度と弾性を失いつつある。
- 作品がおもしろい、というのが一番単純で良い。が、「作品がおもしろい」という話は、大概退屈だ。から、情報のやりとりが重要な場面では「作品がつまらない」という話が盛り上がりがちになって、それはあまりよくないということになる。が、それと別の「作品がつまらない、というおもしろい話」は当然あるのだ。全体からみればかなり少ない気はするけど。
- えーと黒字の大きいゲーム会社はそれだけ標準的に消費者から搾取してるってことだから、ゲーム機の値下げで激怒する類の消費者のみなさんはもっと怒ったほうがいいんじゃないかなとおもった。
- いまだからこそ「オタクのビデオ」を再評価しようぜ。
- オタキング岡田氏と日コン連山本氏の違いを 500 個くらい列挙する会。
- まあでも東京ブロガーオフで要求されがちの会話割り込み能力ってわりと野蛮寄りのコミュニケーションだと思ってるけどな。都会的ではありつつ。