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最近の読書

北方水滸伝十一巻を確保。折り返し点も過ぎてクライマックスへ向けて、梁山泊の組織も完全に世代が変わっている。好漢もだいぶ死んだ。新しいやつも入ってくるが、そろそろ名前を見てもすぐに誰だとわからないやつが増えてきた。増えていく登場人物たちに物語は歩調を合わせない。死んでないけど文面には全然出てこなくなったやつも居る。戴宗とか。いずれまた出てくるのかもしれないが。戴宗は登場シーンがよかった。たぶん気のせいなのだが、あの初登場描写から思い描かれるはビジュアルイメージは鮮烈だった。それまでにも何度か名前は挙がっていたが、四巻の途中にいきなり出てきた。水滸伝の登場人物には、まず名が出てからじわじわ出てくる男と、まず登場してから名を上げてゆく男のふたとおりがある。戴宗は前者側だ。

死にかけていた。
老人である。仕方がない、と戴宗は思った。養生所はあるが、いつも一杯だった。半分は、身銭を払って、楽をしようという者が入っている。戴宗も、八人ばかりは養生所に入れていた。誰も、どこも悪くはない。

北方水滸伝の章のはじまりは、どれもだいたいこんな調子だ。はじめの一文には必ず主語がない。その次にその一文を補足する文章が来る。三行目あたりまで読むと、情景が浮かび上がってくる仕組みだ。それにしても、ひとの話のうえで描いていた戴宗の脳内イメージに対して、この死にかけた老人を眺めている、という初登場はよかった。なにかそのまま Gears of War でもはじまりそうな、でもはじまらない、埃臭い光景。

いやべつに戴宗の話じゃなかった。11 巻でひさしぶりに名前が出てきたので思い出に浸ってしまった。どっちかっていうと 11 巻の主役はやはり公孫勝と樊瑞じゃよ。あと史文恭。水滸伝がこれまでとまた違う貌を覗かせてきた。どちらかといえば公孫勝が見つめていた世界だろう。そういうものも含んで、これからさらに盛り上がってゆくのだろう。