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ゲームにおける物語りの一人称三人称話

ゲーム脳日記(http://blog.livedoor.jp/spikee_rez/archives/50646219.html)を読みながら、そうよなー HL 以前と以降でバキっと FPS における物語り手法は以下略、とか思いながら、そういえば以前 Radio GAGAGA でこのての話を聞いた覚えがあったな、と思い出したので調べたら、第二回放送のときゲストのアニメ監督の神山健治氏が映像における主観と客観の話をしていて、改めて聞いてみてもおもしろかった。

当該箇所が記事本文に収録されていなかったので、適当に耳コピー。

  • 01:36 あたりから 03:03 あたりまで
  • 「たとえばね、一人称で書かれているもの(小説)をね、映像化するとしたらどうしたらいいんだろう」
  • 「じゃあ映像として、主観で描くべきなのかとかね」
  • 「映像をずっとやってくとね、一人称を描くのって、主観ではダメなんですよ」
  • 「映像に主観ってなくて、客観こそが主観なんですよ」
  • 「だからもし、佐藤大の一人語りをね、映像化するとしましょう。そしたら佐藤大目線で絵を撮ってもダメで、佐藤大を撮り続けないと佐藤大一人称にならないんです、これ映像の不思議なところなんですよね」
  • 「映ってる側に人称が行くんですよ」
  • 「だからゲームと違う、そこゲームと違うところなの」
  • 「(ゲームは)自分の主観でしょ、そうしないと入ってけないじゃないですか。それをね、二十年考えて辿り着いたよね」
  • 「そいつが思ってることは映んないんですよ」
  • 「なに見てるかはわかるんだけど、それはね、トータルの映像で気がつけばいいことなんですよ」

ここで挙げられている「ゲーム」とは、それこそ HL のような一人称視点のゲームのことだろう。

今後のゲームにおけるシナリオや作劇、ストーリーのありかたなど、GDC 2007 の講演記事など拾い読みしてもいろいろな示唆があるけど、ゲーム以外の立場での、ゲームの話以外で為されたこういう発言も、たぶん無関係な話ではないんだろうなと思える。