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RUINBRINGER

最近やたら身の回りのものが壊れている印象がある。TV が壊れた(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20061218#p1)。ノート PC も壊れた(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20070120#p2)。イヤホンも千切れた(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20070130#p2)。壊れたわけではないが、最近 NDS のタッチパネルの調子も悪い。あと特に日記には書いていないがこのところ立て続けに靴下がやられている。「体にツノがある」と言われて育った。べつに鬼の血を引いているとかではなく、慣用句として通常の三割増くらいのスピードで着ているもの履いているものが擦り切れて穴ボコができてしまうという意味だが、このところの靴下には、それ以外の破れ方として三件ほど「足を突っ込んで引っ張ったらバリッと破ける」というのがあって新鮮。ビリッっていうかバリッ。布が破れるというよりダンボールかなにかを逆目に引っ張ったような手応え。これはいよいよおれの中に封印された邪竜が一万年の時を超えて復活しようとしているのか…と右手の甲をかざして左手で手首を握り締めてみたが(オタにだけ通じる「力の暴走を抑えようとする」のポーズ)、べつにそこから光の紋章が浮き出てきたりとかもせず。当然だ。そんな夢想は中二までだ。そういったファンタスティックなヒロイックなレジェンダリーな話でないことはわかっているんだ。単にボロい靴下を買っているという話だ。どういうわけだか鮮明に覚えている、池袋北口付近のバッタ屋で買った靴下だ。幾多の絶望を潜り抜けてきたような目つきのオヤジが店番だった。そこには安いもの、ボロいもの、その場しのぎのもの、作り手の愛情を受けなかったものしか陳列されていないのだろうと一目でわかる軒先。陽光は平等だ。すべてに降り注ぐ。いまその店はもうないので、あのオヤジは新たな絶望の淵を彷徨っているかもしれない。そっちの話はいい。他人の人生だ。おれの人生と交錯したのはオヤジが吸っていた煙草の煙と靴下と、その代金だけだ。三足で 200 円とかだった気がする。いまどきに、パーマンに出てくる(オバ Q だったかもだが)押し売りのおっさんが売ってるような、バリッと破れる靴下だなんて逆に味わいがある。ふつうボロい靴下といえば擦り切れやすいもののことをいう。この靴下は、擦り切れやすくはなく、強いていえば毀れやすい靴下だったということだろう。昭和のボロまり方だ。ロクな糸を使っていない。感慨深い。

いつまでも破れた靴下のことを思い出して感慨にふけっていても仕方ないので身の回りのボロ物品に戻ると、最近靴もヘタってきている。確か去年買ったやつだ。履き潰しつつある。それなりにいいやつを買ったのだが、毎日履いてるので消耗が早い。靴は何足か用意して、ローテーションで回していかないとヘタりが早いってのはわかっているのだが、なかなかそういう習慣が根付かないな。貧しさが貧乏くささを加速するという、そのいち界面だろうか。