Gears of War
今年クリスマスシーズンのキラータイトル&国内版未発売だけあって、入荷ナシ&売り切れ続出でひさびさに苦労したが、どうにかアジア通常版を購入できた。アジア版タイトルは「Gears of War 戦争機器」だった。機器て。北米版だと通常版以外に DVD 付きのバージョンがあったらしい。そっちは今度借りてきて見る予定。あと GoW のインポート版をあそぶ場合、本体設定を英語にしないとデモシーン等で音声が聞こえなくなってしまうという問題がある(ソフト的には多言語対応してあり、本体言語設定にしたがって日本語音声データを参照したが、ディスクのデータが収録されていないため無音で処理している、と推測)。
ともかく、すばらしすぎる。写真はプレイ画面であり、ムービーではない。家庭用機は、このフレーズが有効なタイトルを、GoW をもって遂に獲得したと思う。
これはほんとキラータイトルだ。これに殺されるなら本望だ。ただ残虐なだけのゲームではないし、見た目がすごいだけのゲームなどではもちろんない。なにもかもが過剰かつマッドな世界でグロいクリーチャーやムキムキの味方がエグいグラフィックでヴォオオと吼えてギャースと死にまくることは前提だ。「ガレキ等の進入不可能エリアの手前は見えない壁で遮られている」部分でまでゲームっぽさを感じるのはご愛嬌だが、なんだろうかなー思いのほかプレイ感覚が「洋ゲーと和ゲーのいいとこ取り」っぽいというか。遮蔽物の活用が重要(その点 FSW や GRAW などにも通じる)かつ様々な局面での会敵があるため、「とにかく一様に銃で撃ち殺してれば進むんでしょ」的な大味さなど皆無。地形や敵の行動パターンや給弾の呼吸などを見切って攻略の筋道を組み立ててゆく快感。中距離の制圧射撃から懐に飛び込んで(飛び込まれて)のチェーンソー近接など燃える(が、慌ててうまく操作できず反対に殴り殺されるおれ)。会敵→制圧→次のエリアへの一セットのテンポも非常に良く、やめ時がみつからない。邦 ACT ゲーにも通じる大型ボス攻略のおもしろさもある。ステージが進むと小隊指揮要素も加わってきて、さらに Live 対戦はもとより Live 協力プレイも用意されていて、この協力プレイが熱いとなれば、もう、もう…どうすればいいんだ!
あと個人的に重要なポイントとして、三人称視点なので 3D 酔いしづらいというのもある(レースゲーとかだと全然 3D 酔いしないひとなんだけど、FPS では結構酔うんだよな、Halo2 とかも頭痛と戦いながら遊んでいた)。GoW はダッシュ時に画角が歪んで最初きついかなと思っていたけど、それもしばらくすると慣れてしまって数時間連続で遊んでいても全然酔わなくなった。
シングルプレイでゆっくり遊んで十時間ちょっとの難度設定三つ、たぶん FPS としてボリュームはそれほどでもないが、恐ろしく充実したプレイ体験を提供するゲームだ。ギチギチに濃い。ゲームはルールであり、ルールとは不自由さを規定することによって世界における豊かさをデザインすることだが、しかしゲームプレイヤの感じるビデオゲーム世界の手触りはそんなものではないのだとよくわかる。感じるのはゲームにおける入出力だ。つまりインターフェース、入力とはコントローラのことであり、これは「プレイ中自分がいまどうやって画面内のキャラクタを操作しているのかを自覚させないほど手のひらを透過して吸い付いている」のが最上で、出力とはハイデフのド画面と 5.1ch の大音響のことであり、その目応え耳応えの過剰さが、まさにゲーム世界を躍動する実感として脳にフィードバックされるのだ。そこまで来てようやく、ゲームルールはプレイヤの脳内に再構築される。反射率は決して高くない。眩いばかりのゲーム体験として焼き付けるには十分な密度と、または数瞬の換え難い体験が必要だ。Gears of War に結実している。過剰さをシンプルに突き詰めて圧縮したらこうなったという形をしている。日本がかつて魂斗羅 SPIRITS を生んだ国であることを誇ってよいとすれば、2006 年に Gears of War をリリースしたガイジンは讃えねばならない。
で、なんでこのソフトの日本版は来年の 1 月 18 日発売なのだ。