近年稀にみる落胆
ひさしぶりにおれの人生に落胆した。調理の腕のなさっぷりゆえにだ。うまい料理を作る能力がないだけなら、まあ特に気にするほどのことでもない。うまい料理を作ることができるひとが偉いのは、料理をうまく作ることのできるひとが少ないからだ。少数の偉さを保障する相対的に偉くない多数は、それは「普通」ということであって「不幸」ではない。しかし、マズい料理を作ってしまう能力があるようだと深刻だ。一体いまおれはなにをした。米と挽肉とタマネギと卵だ。まあ食卓に並べられるべき優れた献立と呼べるようになるまでには、あと少々なにかが必要かもしれない。しかしこの組み合わせなら、間違ったことでもやらない限りは、いちおう人間の食いものらしいものが出来上がるはずだった。にもかかわらず、出来上がったのは見るも無残食べるも無残、とても料理などと呼べたものではない代物。包丁貴族・団英彦ならずとも餌と呼ぶ。それ以下だ。マズい。馬に蹴られて犬も食わずに豚が逃げ出すレベル。こんなものを食って生きるのが人間なのだとすれば文明とはなんだ。確かに火は通っている。調味料も使ってある。中世以前よりはまともかもしれない。しかしそんなものただ今おれに使うことの許されているインフラ上にのっかっているだけだ。理解する努力も盛り込む意図もなくただそれがあるからとりあえず加えてみた、浅はかだ、容認できない、無残だ。
とにかくこの脱力感たるやすごい。あまりのマズさにショックを受けて、公園に頭冷やしに出てみたがベンチからしばらく立てなかったくらい落ち込んだ。うまくも調理できたはずの材料をマズくしてしまうという不能、罪悪。なにかほとんど生物的な欠陥を見出したかのような。呪いに近い。冒涜的な腕前。人類が生み出した社会というシステムは、日夜人間様のために動植物からいろんなものを搾取してくる。その末席で戦利にあやかる立場もこの腕前で全部台無し。自動的に勝者にしてもらっているのにあともうほんの一手間で手に入る幸福をドブに叩き込む仕業。お膳立てひっくり返す所業。まあそういうマクロな話もある。しかしもっとおれが感じたガッカリは個人の根深い部分にある。つまり「自分が自分のために作ったメシがマズい」という事実は、おれの人生が人間の最小限の基本的な幸福から、すでにこぼれ落ちてしまってることを示すのではないか、という空洞感だ。すごい金持ちだけど不眠症が一生治らないとか、すごいしあわせなんだけど一生虫歯が痛いとか、悪魔になんでも三つお願いができたとしても取引材料にしてしまうとちょっとそれはヤバいかもという、「豊かな人生」を支えるなにか。逆にいえばほどほどに平凡で多少は不幸でも、まあそこが人並みだったなら、まずまず納得して死ねるんじゃないかと思える部分。そこに抜けがあるんじゃないのか。せめて「まあこんなもんかな」くらい作れていればよかった。食えたもんじゃない。しかし食った。腹が減っていたから作ったし、食うために作ったし、おれのために作ったからだ。胃袋に虚無感すら感じる食卓だった。脳みそには砂袋。なんでこんな思いまでしておれはメシを食っているのか。ちょっとこの問題については当分立ち直れそうもない。そこにすがって生きているわけでもないので、べつにたぶん普段とそう変わらないんだけど。