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和風 Wizardry 純情派

池袋 | 060621

「和風 Wizardry 純情派 <祭>」を読み終わった。おもしろかった。一連のおれ内和風 Wizardry フィーバー期間において主に意識された事柄は以下。

  • 和風 Wiz に漂う「ネット小説」感。おれは商業小説とネット小説の違いについて、商業小説は全般的にベタな描写をいかに軽くするかという部分の技巧が冴えるんだけど、ネット小説の場合むしろ逆でベタな描写に分量を費やすという傾向があるかなと思っているが(たとえるなら、アミノ酸味覚ってより油味覚寄りの調整)、今回それが補強された。書き手の問題とも説明できるだろうが、小説の書かれ方の問題といったほうが納得しやすい。だから一般書店で売られているような小説と同じ読み方にならない。といって一般で売られている小説にそのような決まりごとがあるかといえばそうではないわけだし、なんかこれもいい加減な話だ。
  • 和風 Wiz に漂う「MORPG 小説」感。和風 Wiz 世界の冒険者人口が一万数千人規模であることは、なんとなく中小の家庭用ネットゲーコミュニティと印象が重なる(PC ゲーでもいい)。まあでもなんかこのへんの感覚はいい加減。MO において直接交流する人間は全体規模とあまり関係がないし(SNS 小説が今後出るとすれば、それと互換していく部分の話だろう)。それより大きかったり小さかったりしてもいい。シューター 3 万人上限説みたいなのとも近い。これが「MMORPG 小説」感とかになってくると、たぶん最大頑張って新城十馬(カズマ)氏による「蓬莱学園」シリーズとなるだろう。あれがプレイヤ数を十数万人規模を想定してある世界。十万人の内側とその外側。それより多く、100 万人規模になってくると、おれにはもうなんだかわからない。一億人規模と区別できないかもしれない。箱庭としてきちんと描くつもりがあって、そしてその箱庭がどの程度の規模であるかをきちんと描ききれるのか、という作者側の意識の話かもしれない。
  • Wizardry 文学」とか言ってしまうと大仰になってしまうが、日本でなぜこのような群像劇に Wiz のイメージがばっちりハマるのかというような妄想。ミッションはあるけど目的と自分とが無関係で、自分のモチベーションは自分で設定するしかないというあたりとか、もちろん基本的にストーリーがないから何でも詰め込めるとかなんとか。