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時をかける少女問題の事前整理

気になったきっかけは新城カズマ「サマー / タイム / トラベラー」の悠有で、その後 GAINAXトップをねらえ!」を見る機会があったので(ちょっと違うなと思ったけど)あれのノリコも絡むか。原体験でいうと笹本祐一妖精作戦」の小牧ノブとかになるかも。ともかく、そのへんになにか問題があると思えるんだけど、問題像が絞れておらず、モヤモヤしていた。雑な書き方をすると「彼女たちはなぜ割り切れるのか?」ということだ、ったんだけど、夏本一糸(http://d.hatena.ne.jp/natsumoto/20060516/p1)のエントリを読んで、ある程度モヤモヤが晴れた気がした。けどまだよくわからん。もうちょっとでわかりそうだ。以下引用する。

ものがたりの登場人物を「ゆくもの」と「残るもの(あるいは去るもの)」に分けるとすると、さいきんは主人公の、一人称の立場が後者のものが増えてきたなあとおもう。

おれの場合これをロケットもので理解している。「打ち上げもの」と「打ち上がりもの」だ。ロケットの操縦士と地上のディレクター。で、おれは明らかに「打ち上げもの」のほうが好きだ。宇宙から地球を見下ろすのではなく宇宙に昇ってゆくロケットを見上げたいタイプ。それより以前には「ロケットものとドラゴンもの」と理解していた(ロケットを打ち上げるか、ドラゴンに乗るか)。「残るもの」主観の話が増えてきたということは、最近の作品傾向はおれにとって都合がいいのかも。

特に、ゆきたいけれどゆけない、ここではないどこかへ脱出したいけれど、どこにもいけない、そういうのが。そんなお話は、たいていかなしい結末を迎えることになるのだけれど、この小説はぜんぜん、そうじゃなかった。

そうそう。「サマー / タイム / トラベラー」はそこが新しくて素晴らしかった。

  • 妖精作戦」は「切ない結末」のほうの例だ。ノブは超越していく。榊は置いていかれる。すべては混乱の中で起こる。けど心境は事前に整理されているので、一時的な感情の爆発ではない。ノブには不可逆の移動を行う覚悟があった。それがなぜかを当時のおれは大して考えなかった。というか、いまでもあまり考えることができない。だからこそ「なぜ?」なわけだ。おれはこの件について切なさ以上の感情のレンジがない。それを拡げる作品に出会ってなかったか、出会ってたのに気づいてなかったか、どちらかだ。で、「サマー / タイム / トラベラー」は二十一世紀にもなってようやく最初のフックになったと。
    • 正確にいえばノブは「未来に向かってゆく」わけではない。空間的に事象を超越していき、時間的にはむしろ榊たちのほうが「ゆくもの」の立場だ。けど筋合いとしては絡む気がするのでここに挙げておく。
  • トップをねらえ!」は主人公が「ゆくもの」の作品だ。ノリコは(たぶん覚悟自体は決まってるんだけど)わりかし混乱の中で行く。それだけでなく帰ってくるところまでをやる。父の生き様との重ね合わせや、エクセリヲン艦隊での顛末等を踏まえて彼女がどう屈託を克服したかは、深読みするとかなり興味深いのだが、しかし、どうもいまひとつ深く読み込めるディテールを感じ取れない。こう書きたくないんだけど、ちょっとうそ臭いというか虚しい。あまり本件に絡む話ではないので端折るけど、見れば見るほど「トップをねらえ!」は中心のない作品に思えて、そういう話の主人公のノリコなのでちょっと疑わしく思えてしまう。逆算して結論までを盛り合わせたような印象が。つまりは王立→トップ→ナディア→エヴァンゲリオンカレカノフリクリ、といったかんじの流れの理解の話に、もっていくのはなんとなく嫌らしいんだけど、あっちのが収まりよさそうなんだよな残念ながら的な。

ここから先よくわかってないので駆け足で。

  • 彼女たちはなぜ割り切れるのか?
  • 逆にいえば、おれは「簡単に割り切れるものではない」というか「どれだけ考えても割り切っていいものではない」と考えているわけか?「いまでない時間、ここでない場所」への不可逆の旅への抵抗?
    • 世界観価値観、それこそ欲望まで、おれがおれの定規だと思っているそれらはおれを取り巻く環境によって規定されているはずだ、ということは、自分が愛憎を向けるべき世界はそれを規定した「ここ」にしかないのではないか感。そうであっても(アーキテクチャを同じくする範囲の)違うところへ行けば、なにかを思うことができなにかをすることができるのもまた当然、というレベルで判断できるということよな。
    • 「「帰って来れない」という条件で、東京までは行けるが、アフリカまでは行けない」が、たとえばひとつのおれの限界だろうと思っている。
  • 土地の移動程度ならまだ「空気でつながってんだよ」「電話は通じるよ」とかいろいろあるのでべつにどうってことはない。けど時間は死のようなもので情報が途絶する。それでいいのか?同じ時間を過ごせなくていいのか?そいつと一緒に歳をとらなくていいのか?いいのだ。それぞれの理由により。
  • ノブの場合、諦めている。だから切ない。
  • ノリコの場合、割り切っている。使命感といってよかろう。それがどうにも危なっかしいというか、「結局なにも手にすることの(でき)なかった者ゆえの聖処女感」として回収することに、ちょっと引っ掛かっているわけなのだが。
  • で、悠有の場合なんだけど、彼女には決意とかもありつつも「未来に跳んでもつながっている」ことを信頼できたのかもなー、という部分が新しかったのかも。そういう理屈というか、納得の仕方を組み上げることができれば、確かにそれはアリかも。愚かしさではありえないが、論理とも違う部分から発明されているような気もする。小説としては、たぶん理屈で描かれているわけなんだけど。まだ読み込めていないので不明。