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最近の読書 - ほうかごのロケッティア関連

「ほうロケ」の愛称で親しまれているらしいロケット打ち上げもののラノベ。ちょっと読みづらい部分もあったが、まずまずおもしろかった。

たぶんロケットものの作品として少年が最初に手に取るべき本ではない。ロケット関連の各種描写と、それらがキャラクタに与える影響、みたいなもののスケール感(何は小さく何が大きいのか)あたりの手がかりを得る意味でも、各種ロケットものの作品を通過してから読んだほうがよさげ。最低でも「OCTOBER SKY」は見ておいたほうがいい気が。いやでも順番はどうでもいいか。ほうロケのあとにいろんなものを見て情動シミュレーションを自己採点していってもおもしろいのかもしれない。

  • 読みはじめが飛行機の機上だったので、この本は乗り物に乗ってるときにしか読まないことに決めていて、それで読了に時間がかかった。ラノベなのでそれほど時間はかからない。サクっと読める。
  • 本作は、ロケットに賭ける想い、みたいなものを描くプロセスが、ロケットものとしてはやたらと複雑だ。というか「ロケットものとしての純粋さ、ストイックさ」みたいなものは若干弱め。いや「じゃあピュアなロケットモチベーションてのは何だよ」と聞かれると困るけど。
  • 終盤の文章が駆け足で、ラノベ一般に期待される「エロゲー的毛繕い漫才」みたいな文体を脱ぎ去ってしまっている、けどもその枠から逸脱しているわけでもない、なんかこう毛繕い漫才のプロットがバルクで詰め込まれている、みたいな状態で、これは文章芸ってよりは単に構成の問題っぽいなーと気になった(前 2/3 とうしろ 1/3 が別の本みたいだった)。まあ、毛繕い漫才文体はおっさんには厳しいから、後半ノリも悪くはないんだが、急展開の加速感を演出しているというふうに読み取るのにはちょっと文章が荒く、整理してイベント絞って会話劇に整形したほうが読後感よかったかも。
  • ところでおれはロケット作品を「打ち上げもの」と「打ち上がりもの」に区分していて、好きなのは前者なので、ローンチディレクターの視点で描かれる本作の(カテゴリ自体からくる)印象補正はたいへん良い。いやシロツグもダムダリも超好きではある。ただ、彼らのように考えたいとは思わないのだ。
  • 人類は地表だけで満足できる、目の前にやるべきことは山ほどある、なぜロケットなのか、宇宙なのか。その意思へと到達するプロセスには、まさに飛躍が必要となる。そしてそのような状況設定は、「何かやりたいけどやりたいことがない」「ここから抜け出したい、ここいらのどこでもない、遠くへ」みたいな青春のドロドロと異常に相性がよい。ドロドロが、さまざまな試行錯誤を経て理念と結びつき、崇高さへ変質してゆくプロセスは、燃える。「べつに何でもいいんだけど何でもはよくないんだよコンナロー」というオタ心をくすぐりまくり。
  • そのうえで、自分を宇宙にのっけて飛ぶようなロケットの話は、オタが愉しむのにはくすみが足りない。人間が乗れてしまうようなサイズのロケットには、具体的に人間を乗せてしまうのが人情だ。しかし、人間が乗れないサイズのロケットには夢だけが乗る。人間が宇宙に行ったら、願いは祈りになってしまう。そんなかしこまったもんでもない。できたら実力、ダメならダメでいい、どこかにたどり着かなくても、あるいは永久に地球を回り続けることがなくとも、地表の一点から傲慢に、落ちないボールを地平線めがけてブン投げてみたい、どこかへ行きたいわけではないのにここに居続けたくないという葛藤を切り離し、封じ込めて、盛大に送り出してみたい、その視線の先にロケットがあれば、これ以上のことはないのだ。
  • …みたいなのが、おれのロケット打ち上げものに対する牧歌的な視線についての話なのだけど、本作は、↑でちょろっと書いたとおり、「なぜ主人公がロケットを打ち上げようとするのか」「ロケット打ち上げに懸かっている想いは(各人にとって)何なのか」らへんがだいぶこじれているので、なんかおもしろいっていうか、新しいのかなーと思ったりした。

とかなんとか。まだよくわからん。