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考えてみれば「運ゲー」は適切でなかった

写真整理 | 060303

世の中には「運ゲー」と呼ばれるゲーム群があり、それらがそのように区分けされること自体に問題はないと思うが、しかしそこに貼るラベルとして「運ゲー」というのは、これはあまりいい名前とはいえないなと、改めて考え直してみた。

やはりこの運というのがよくない。いや運なら運のゲームでもいいのだが、この名前だとそこにプレイヤが関与しているかんじがしないのがよくない。世の中には避けゲーや連打ゲーなど「○○ゲー」はいろいろあるが、これが「運ゲー」となると、じゃあそのゲーム中プレイヤはなにをゲームしているわけ?となると…白装束のおっさんが瞑して天命を待っているだけ、みたいなイメージしか浮かばない。これは実態と乖離している。それがゲームであるなら、そこには何らかのゲームプレイが存在するのである。「運次第だからなにをやってても一緒だよ」というニュアンスで、敢えて(投げ遣り気味に)ゲームプレイの部分に「運」を貼り付けてあるというのが真相だろうか。しかしそんなヤケになってコントローラ放り出すようなメンタリティのままでよいわけがない。このような問題を放置するから「「ひぐらしのなく頃に」はゲームか?」みたいな問題とかが起きるのだ。ゲームプレイが存在すれば、それはゲームといえるわけなのだ。では目前にそびえ立つ圧倒的な「運」の壁を前にプレイヤが行うべきゲームプレイとは一体なにか。

…というわけで代替案を考えてみたが、

  • 念ゲー
  • 祈りゲー

などだとプレイヤとゲームの関与が認められるので OK、という脳内判定が出た。ちなみに FC「マインドシーカー」は超能力ゲーであるから、念ゲーではない(と思う)。あと「運→サイコロ」つながりの話だが、「なんでもいいから最後に「神はサイコロを振らない」と付け足すと、なにかもっともらしいことを言ったような気分になれる」という自分騙しテクニックがあるらしい。神はサイコロを振らない