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理系女子が文系男子にバタバタ惚れる話

(一見)完全な関係の中に(実は)不足していたゆらぎ位置としてのキャラクタ構図の中に、(一見)無能に見えて(実は)正露丸的に万能の主人公キャラをポトンと落としてみることによって物語に潤滑油がいきわたり世界がハッピー化されるっていう、現在では万オタ作品共通作法化してるようなアレが、オタ同士の会話のうえで明示的に言及されだした時期を探している。ようするにアニメ作品が「やさしいだけの無能主人公=優等種」という構図を意図して取り入れ出したのがいつごろからだったかという。

確かにジャンルでいえばラブコメなどはカボチャワインとかからずっとそうだったにせよ彼らはやはり最後の最後で意思の力を獲得(または表明)することで特定ヒロインに対してヒーローたるを得たりとかしたし、「実は最初から必要なものをすべて持っていたので主人公が動く必要はまったくなく、逆に周囲がそのことに気付くまでのプロセスをもってストーリーとする」みたいなへんな話作りというふうに変質してよそにひろまった感があるというか。単に世間にあったバブル熱狂→崩壊の世相を映すなごみ・癒しの台頭を半歩先取りした風潮とも思えるが、ともかく明確にいつごろからだったのかがわからない。ああもうおれの記憶なのに順番におもいだせない。ギギギ。

誰が言ったんだかも覚えてないんだけど確か 97 年頃に「それぞれ学部の違う理系女子(←語弊が多くなるかもしれないのでアレだけど一応スペシャリスト的な意味)のサークルの面々がそこに迷い込んだなんのとりえもない一人の文系男子(←語弊が多くなるかもしれないのでアレだけど一応ジェネラリスト的な意味)にバタバタ転んじゃう話はうんざりだ」みたいなオタ会話があったと思うので、すくなくともそれ以前に市場はそういう作品群で溢れかえっていたはずだ。もう最近だと逆に使い古されて見つけづらくなってまったような感もあるが底流としては根強く存在し、一応「マリみて」の主人公なども、本作が学園年代記的な様相を計画されて進められているようなのでそこから先の位置への展張はあるにせよ、やはり「一見単なる無能の正露丸」としての位置から危なげのないスタートを切っている。

「天地無用」はその図を演出してみせたうえで「まあそうはいいつつこいつ(天地)は明示的に役に立ったりもするんすよ」とちゃぶ台をひっくりかえしてみせたりもしたわけだからそこをさらに一歩進んだ形とも理解できるが(こういうあそびをおれは当時「次元のちゃぶ台返し(または次元の回転床トラップ)」と呼んでいたと思う)、二歩先取りして一歩後退してみせるというインテリオタ的な諧謔が制作者側にあったという話かもしれないからもう少し慎重に当時の情報を収集してみないことには過大か過小の評価をしてしまっていることになるかもしれない。

リアルタイムにマークアップしとけば当時の空気とかも含めて記憶を整理できたはずなのにそういうことしないから今考えるってのはむつかしいな。確かにその時代を生きたはずなのにいざ思い出そうとしてもなかなか空気感は脳内再現できない。ましてや自分が生きていない時代の空気ともなればどうもこうも、勉強するしかない。