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逆転裁判

逆転裁判」(以降 1)は、とにかくシステムがシンプルなゲームだと思う。表示可能面積の少なさからくる情報の少なさ、システムのシンプル、ルールのシンプル。余分なものがとにかく少ない(「法廷劇のおもしろさを追求するだけでよく、探偵パート自体が余分」などと言うことはできるんだけど、そこを突き詰めるとドラマ部分の豊かさに関する表現を今とまったく違ったものにする必要が出てくるので、そっち方面への妄想は別の話になる)。このゲームは GBA 用のゲームで、GBA は性能や想定するプレイ形態から制約が多いので複雑なゲーム内容を詰め込むには適さない。逆転裁判はまさにそのような仕様上にきれいにまとめるために、このようなゲームとして作られたのだろうと推測できる。GBA 用だからシンプルであり、GBA で遊ぶからこのシンプルさがうれしい。

そして正義が明快。この場合の正義というのは「このゲームにおいてプレイヤはなにをやったらいいのか」という点だ。これがすごくわかりやすい。不審な点があったらとにかく突っ込む、「さらに突っ込む」が表示されれば迷わずそれを選択していさえすればどうにかなる。挑む相手は必ず悪なのでこちらのスタイルはいつもきまって明快だ。正義を行えばいずれ必ず勝つように、このゲームは出来ているはずだ、という信頼。1 の三話目あたりを遊んでいる頃からこういった気分に対する自覚があり、そしてこの信頼の構図というのはこのゲームが明快さを打ち出すために作ったものだろうけど同時に話のひろがりに対する枷でもあるよなと思ってもいた。つまりこのゲームにおいては被告は常に正義(無罪)であるという前提があり、ゆえに弁護人は「正義の味方」たりえているということだ。逆にいえばこのゲームに明快さがある限り、「実は悪(有罪)である被告人」が登場することはない。それは見方によって残念なことでもある、法廷劇にありえるおもしろさというのは被告の無実だけではなく有実にも求めることが、当然できると思うからだ

さらに言えばこの枷のうえでドラマを展開していく限り、主人公は「自分の依頼主を疑う」という行動を本質的に取れない。被告の証言は検証することもなくすべて事実、そういう前提だということで、ここの部分はとにかく「このゲームの正義に対するプレイヤの信頼」によって消化していくしかないが、おれの場合はちょっとだけ消化不良を起こしかけた。検察側の証人に対してはあれほどつっこみまくる主人公の矛先が、被告に向くことはないのだ。それはできないようになっている。物語的にそんな場面はない。やる必要がない。被告は正義だからだ。しかし(屁理屈になってしまうが)だからといって「被告は嘘をついていません」と明示的に説明されているわけでもない。だから、ちょっとは検証してみたくもなる、が、できない。そんな操作はゲームの中に存在しない。

1 で引っかかったのはその点だった。なるほどくんは疑いなく正義の味方だ。その最大の根拠は「彼がこのゲームの主人公だから(このゲームの制作者のひとは、主人公視点の人間を犯人にするというようなトリッキーな真似を、すくなくともこれだけシンプルなゲームの、しかも一作目では少なくともするまい)」という実も蓋もないものだが、しかしその「疑いなく正義の味方」という部分に不安定を感じた。被告が「たまたますべて正義」だったからいいようなものの、なるほどくんが依頼を受けた被告が「実は悪」だった場合、彼は正義の味方としての立場を失う。その事態を回避するためには「被告人を検証するためのシステム」が存在すればいいが、それがない。それは、危うい

…以上のようなことを差し引いても、実にたのしく遊ぶことができた。「実は検事が真犯人」というひっかけオチも最終話にばっちりもってきて、この枠内で使用可能な手管をうまーく選んでおいしく仕上げたなあと感心した。たいしたもんだ。