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逆転裁判メモ関連(で出てきたごみ)

逆転裁判に関するメモをまとめようと思ったけど全然まとまらなかったというか、おれが今回やろうとしたような整理のしかたはこの日記のような一列の文章によるまとめかたが適していないんだよな多分。表とか図形とかスレッドとか使ったら多少ましになりそうだけどもそういうやりかたも最近は古いらしい。あたまをグラフィカルに切り替えて三次元でとかむしろ四次元以上でとかいう方法だと今風っぽいけどグラフィカルってものは見方によって無駄も多いと思うので取り入れ方を一考しておかないと面倒だ。

思考の整理法は古来何十何百と発明されたり再発見されたりしているが、この場合どれを適用するのが適当かっていうか、おれが日記に書く場合には現在書いてるこのやりかた以外を適用するつもりはないのでこのやりかたで整理できないものは整理しないのがこの場合正しいんだよなまあ。

  • ADVのシステムの新旧というか選択肢のフォーカス対象に関すること。

探偵パート中の物語進行は、逆転裁判が明らかに旧態依然とした家庭用 ADV の流れをごくまっとうに継承している ADV だと表明している。マップ移動によってフラグ→イベント→ゲーム進行が明示的に管理されているからだ。ADV としての逆転裁判の骨格は家庭用のそれを基盤として洗練させたものであり、そのうえで当代一流のひとつと判断できる。

こんなめんどくさいシステムはいまどきの PC 用エロゲなどでは滅多にみられない。エロゲはああ見えて ADV のシステムや進行に関して家庭用のそれより数世代洗練されている。この場合具体的には「場所の指定」によって物語進行を管理するというシステムを既に排している。エロゲにおいては、場所指定によるゲーム進行は直接的な操作であるとは言いがたく、プレイヤにかける不要の負担と判断されたという過去がある。

古くはエロゲにもそういう時代があった。elf「同級生」とかあのへんが最終形か。プレイヤは場所を指定し、場所から場所へ移動し、そこには意中のヒロインや登場人物などが居て、イベントが発生し、フラグが立ったり消えたりして、そうやって物語が進行した。だがそのシステムには無駄があった。プレイヤが指定したいのはつまるところ「その場所に居る(かもしれないと予測するところの)キャラクタ」であって「場所そのもの」ではないからだ。

場所を指定したところで目当てのキャラクタがそこに居るという確実の保証はない。ハズレも当然多かった。無駄に大作感を主張するようなゲームであればなおさらにマップが広く、ハズレ場所やハズレイベントも多量に用意されたが、結局そこにかかる制作コストをプレイヤが積極評価することはない。こうしたアタリとハズレの判定をもってゲーム性の正義を主張するゲーム開発者もかつては居たが、そういった主張の多くは「開発者の独善」とユーザに切り捨てられる時代になった。マッピング「だけ」で回避できる当たりはずれは予備知識とでもいうのであって、ゲーム性では、確かにない。

「プレイヤ→(選択)→場所→(判定)→キャラクタ」という構図だ。無駄な判定をなくせば「プレイヤ→(選択)→キャラクタ」となる。だから徐々に「場所の指定」システムはなりを潜め、直接的に「キャラクタを指定」する選択肢が台頭した。このあたりは開発規模の都合などからくる「ラクして開発する方法」でもあったと思うが、平易に作成できるゲームは平易にプレイできるという一種の消費者正義に(あくまで結果的に)迎合してもいったと思う。

キャラクタの指定というのは一歩進めるとエピソードの指定とも言い換えられる。というかキャラクタはプレイヤに対してわかりやすいかたちでエピソードを象徴する記号なので、自然そういう位置に落ち着く。その意味「キャラクタを指定する」ことと「エピソードを指定すること」は、形態の差はあれ内容としてはほとんど同じ意味になる。

たとえば Leaf「痕」などもそうだ。序盤の選択肢で四人のヒロインを二人に絞らせ、さらにもう一度の選択肢でヒロインを一人に決定する。場所指定のシステムに慣らされていた人間などからすれば「こんなモロにわかりやすい選択肢なんてアリなのかよ」とか結構目から鱗だった。場所の指定などで中継することなく直截的に「誰を選ぶか」を表示し、そして「どのエピソードを選ぶか」を意味している。

場所選択肢に対してキャラクター選択肢、そしてストーリー選択肢だ。どんどん ADV は単純になる。そのラインは最終的に小説のラインと限りなく並行に近くなるはずだが、重なることはない(と思う)。「キャラ選択→イベント発生→選択肢→イベント分岐」みたいな楽なゲームの後で「移動→移動→移動→キャラ出現→会話→正解選択肢→イベント発生→フラグ立った→次の場所移動へ」みたいなストロークの多いゲームは、きつい。

Leaf といえば PS 版「ToHeart」は場所指定選択肢時代から人物指定選択肢時代への転換の記念碑的なゲームだった。PC 版 HoHeart はノベル形式でありつつ選択肢が「場所指定」という眩暈のするゲーム設計だったが、PS 版になって「場所指定だが、場所にはどのキャラクタが居るかがグラフィカルに表示されている」というシステムに変わった。場所とキャラクタが並在している。どっちでもあり、どっちでもいい。半端だ。以降ここから「場所」が消えていく。あの選択画面はまさしく過渡期を象徴していた。そしてこの転換の意義たるやあまりに大きい。

で、そうした PC 用 ADV(エロゲ)の段階を踏んだ洗練の過程を見ればいかに家庭用 ADV の進歩の歩みが遅れているかがわかる、が、そのうえで逆転裁判のシステムは PC 用の現在水準とよく戦えるくらいがんばっていると思う。前述のとおり場所移動は本来無駄を産むシステムなのだが、逆転裁判では物語進行上不要な場所や人物などを一切省いてあるため結果的に「無駄がない」。新しい方法を知ってか知らずかはわからないがとにかくにも採ることなく、古いやりくちの無駄を極端に省くことでシステムを現用レベルまでもっていった感がある。だから、おれは逆転裁判をこれはこれで当代一流と思った。

ところで、突き詰めていくなら本当は「プレイヤ→(指定)→キャラクタ(またはストーリー)」ではなくその奥にさらに「プレイヤ→(指定)→イベント(またはストーリー)」となるはずだが、現時点ではそこまでやってしまうというのはさすがにまずいようだ(一部の鬼畜系エロゲーなどでは標準化されているようだが、純愛系エロゲーではみられない)。ここの部分での転換というのはストーリーを完全に解体して主体をシーンに置くっていうような、物語作成上の視点の転換にもあたるからなのかもしれない。要するにそこまでやってしまうとユーザがそれを「ストーリー」として受け取ることが難しくなる。

…ああ、いや、もしかして、ひょっとしたら、シスタープリンセスは純愛系(?)でそれに挑戦してるゲームなのかもしれないな。ひょっとしたら。