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グロテスクな善意

ひとの好意はシビアな取捨選択として表現されるので、それが及ぼし描く影響の図は恐ろしくも美しいけど、ひとの善意というものはそのほとんどがグロテスクでろくでもないものだと思う。思うが、おれが生きている現在というものはそういうひとの積み重なった善意のかたまりのうえにも成り立ってると思うし、おれ自身日々醜悪な善意を排泄して生きていると思うので、おれはそうした善意のある現実を肯定する(しかない)。

その醜さはおれを不快にするが、それがなければたぶんおれは困ったり死んだりする。必要悪とでもいうのかもしれない。おれの現実がいかにショボいものであるかこういうときにわかる。ままならないなあ、それはつまりグロテスクな自分自身を肯定しなければならないということで、やっぱり自分の醜さを認めるのはつらいっていうか、つらくはないが、めんどくさいっていうか、億劫だ。まさしくこの感覚が大事だ。自分にとって本当にいやなことというのは強い抵抗感と共にあるものではなくどうやってもそういうことをする気が起きないような部分にこそあるのに違いないからだ。

あーグロいな。耐えられない、というか耐えられるっていうか、平気なんだが、平気なことが信じがたい。信じがたいのにあたりまえなので、おれはこのあたりのことを見失わないようにしておいたほうがいい。