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ゲーオタのおなら in GRAN TURISMO 4

野方給水塔 | 050220 B 3 of 6

  • 絶対に待たなきゃいけない問題

M さんはドラクエ(FC 版初代)を「移動速度の遅さによってプレイが長時間化するようなデザインのゲームなどかったるくて遊べない」と評した。そのときおれは「まあそれはそのとおりだけど、ドラクエにイチャモンつけるとしてもふつうはまずそこじゃないよな、ハードコアゲーマーおめ」とか受け取ったのだが、違った、あれはちっともハードコアな考え方ではなかった、とてもシンプルで素直な意見だ。なんであれ移動のタルさは苦痛(←余談だが、ドラクエの最新作 VIII については、移動のタルさはかなり改善されていると伝え聞いた)。

これに似た苦痛を GT4 上に当てはめれば、なにかにつけてのキャンセルできない待ち時間となる(←レース中のスピード感については「GT ってそういうもの」と納得するとして)。メニューのカーソル移動はそんなに遅くないのだが、ロードが多すぎる。あとセーブで待たされる、これだから HDD にセーブできないゲーム機はだめなのだと。めんどくさいからブックマーク機能つけて、よく使うメニューにはロード一回で辿りつかせてくれと。

  • NAMCO 社の「ミスタードリラー」シリーズ後期にもあった「ゲームは単純なのにメニューが華美かつ冗長すぎて、肝心のゲームをはじめるために押さなきゃいけないボタンの数が多すぎる」問題と通じる。
  • 「大作 RPG とかのメニュー画面は、画面遷移それ自体に演出時間があったりして、クイックな操作感を阻害する場合がある」問題とも通じる。

とはいっても GT4 のメニュー問題は、基本的には「ロード多すぎ」「セーブ長すぎ」とかそういったレベルなので、じゃあこれは演出とかのデザイン仕様でなくてハード仕様の問題であって避け難いところなのかなと思うが、もうちょっとなんとかならなかったのかと思わずにいられない。開発的にはロードの頻繁さについて、外付 HDD 対応させることで対応しておきたかったところなのではないかなと推測(でも実際は非対応)。あとこれは選ぶレースの種類にもよるけど、レース開始前に出場車がグリッドまでノロノロ走ってる演出をキャンセルできないのも苦痛。裏で残りのコースデータでも読んでるのかなこの時間帯。

「そういうゲームです」と言われれば納得するしかないところだけど、GT の「ゼロからスタートしてちまちま積んでいかないといけない」ところは、いまにして遊ぶとけっこう苦痛。経験値稼いでレベルアップしてー、というドラクエ方式。経験値とはプレイヤ自身のものとクライアント(ゲーム内データ)のものと二種類あって、「前者<後者」の場合なら問題ないんだけど「前者>後者」の場合かなりつらい。上のクラスで勝負して勝てるのわかってるのに、そのクラスで戦える車を持ってないので、とりあえずずっと下のランクで地道にお金を稼ぐ作業が必要になってくる。「スライムに勝ったね、じゃあ次はドラキーとやって」でなく「スライムに勝ったね、じゃああと 100 回スライムと戦ったらはがねのつるぎ買えるから」という。

まあその仕組みのこの場合の利点はわかる。プレイ時間を長く取れることだ。階段が十三段あるとして、一回勝つごとに一段上にプレイヤに上げてしまうと、ものすごく強いプレイヤは戦闘十三回でエンディングに到達してしまい、「なんだよこのゲーム短すぎ」とか言われてしまう危険がある。だから階段が十三段あるなら、各段ごとにやらなきゃいけない作業を入れて、上手でも下手でもそれなりの時間をかけないと一段上には上がれないような仕組みを設ける。そこに作業性が生まれる。アルバイトの誕生。

対して、いかに GT といえどもそこに展開されているのはレースだ、レースは速いやつが偉い、スピードが正義だ、スピード如何に関らずやるこたきちんとやんなさいってのは、そりゃあんまりじゃないのかと。いやそこであんまりとか言ってしまうとおれは単に GT を遊ばなければよいだけという話になってしまうんだけど、それでいいのかおれ、まだよくわからん、ていうか正直べつにそれでいい気がしてるんだけどもうちょっと悩みたいので保留、とりあえず、ううむ、むしろ逆に考えればこうだ、「もしドラクエがレースゲーだったなら、異常にうまいプレイヤは戦闘を数回やるだけで竜王を倒して世界を救うことが、できるようでなければおかしい」。実際 STG とか、パターン記憶等の問題もあるので実際にはほとんど不可能と思うが、理論的には「反応速度さえ追いつくなら、十分に上手いプレイヤには初見でラスボスを倒す可能性がある」。

おれとしては GT4 のマップのどこかに「飛び級試験場」とかがあればよかった。持ってないクラスのクルマを借りてレースに参加、勝てばそのクルマに乗って帰っていいよみたいなの。ある程度の参加料を支払わなければならないとかでもいい。べつにおれは自分で特別運転ゲーがうまいと思ってるわけではないが、しかし少なくとも GT を日本で一番下手なひとよりは上手くプレイできるという程度の自負はある。実際にそういう仕組みがあったとしても、それを利用しておれがキャンセルできる過程は序盤だけかもしれない。それでもいいのだ。ちんたら走らされてると感じてしまうのは単におれ自身の鬱屈だが、そこのストレスに対して納得するための仕組みがない。理論上のものでいいから可能性を提示してあってくれれば、おれは納得して目の前の作業に向かうことができる(←「あれをクリアできない以上、目の前の作業をするしかない」)。アーケードモードだけやってろよって話になるのかもしれないのだが。

GT が打ち出したい方向性に近いコピーを探せば、数年前 JRA が使ってた「自分を楽しむ、それが競馬」だろう。自分のペースでたのしく走ればそれが一番ですよと。実際 GT4 はネット対戦とかできないし(LAN 対戦は可能)、ちまちま育成モードは他人と共有しないひまつぶし色が非常に強い。べつに価値観を賭けて他人と勝負する必要などはない。ゆっくりやればいいんです。けど「ゆっくりしかやれないようになってる」のはどうなんだ。べつに「自分を楽しむ」と「スピードは正義」は競合しないだろと思うんだよな。スピードへの欲望がスポイルされているかのように感じられてしまうよ。

ただ、この「スピードは正義」は危険な考え方でもあるわけだ。スピードの正義を是として、よゆうでクリアできるところまではすっ飛ばしてあそばせてしまうと、プレイヤは最速で「自分が越えられない難度」まで到達してしまうからだ。こうなるとゲームプレイは「序盤から苦難のプレイを強いるデザイン」として受け取られてしまう。最初は楽勝を連続させてスキルを上げさせておき、徐々に締め付けていくというようなデザインは困難となる。ライトユーザは、能力より自負のほうが常にちょっぴり高い存在だから、「このクラスはむずかしいので、じっくり基礎を練習しなおしたり、ひとつ前のクラスに落として練習しよう」などとなかなか思ってくれない。「ここまで楽勝だったのにいきなりむずかしくなりすぎ。やってられないよ」とコントローラを放り投げてしまう可能性がある。スピードの正義ゆえの事故的感想、「買って損した」。でも飛び級がなければそこに辿り着くまでの時間はけっこうかかってるので「まあこれだけ遊んだんだからいいや、満足満足」と思ってもらえるかもしれない。実際のところ GT シリーズて、「最後まで」てのが特にないかんじなので、わりと中盤くらいまでやってそれ以上進めずやめるひとってけっこう居るんじゃないかなと思う。課題図書に指定されることが多いゆえに読んだことがある人数はかなり多いものの、じゃあ読了した人数はというとあんまり居ないという夏目漱石吾輩は猫である」と似たような。

というか、結局「ゲームはクリアするまで何度もトライし、クリアしてもさらに何周もするもの」というのはゲーセン発の思想だから、家庭用機だけで回していれば「一度クリアしたゲームは何度も遊びなおすものじゃない」というふうな思想で固まっていくのも自然で、そうなると「何度もクリアしてくれるようなプレイヤに期待することなどできないのだから、一回のプレイをとにかく冗長にしましょう」みたいなのが、開発費かけて回収していくようなゲームでは必須になっていくってことなんだよな、「同じものを何度でも遊ぶ」の思想はゲーセンから携帯ゲーにうまく受け皿を写すかという希望的観測もなくはなかったけど、結局あっちも量の勝負で消費路線にいっちゃった観があるしなあ。

けどこの「一本の出来のよいゲーをいつまででもしゃぶっている」というゲーオタの性向は、ゲーセンとか課金制ゲームの場合なら遊べばあそぶほどお金を消費してくれるわけだからタイトルの商品寿命が長くなっていいこととしても、これを家庭用ゲームに適用した場合「実はゲーム業界に対してそんなにお金を落とさない(かなり長いスパンでしかゲームを買い足さない)」という事態につながって、それはそれでどうよという話になっちゃうわけだよな。

…なんかどんどん脱線していってしまった。このへんまでにしておこう。換気換気。