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ゲーム雑想メモ

思い出しメモ。

  • 達成感と満足感の闘争
    • ものすごく大雑把にいうと、「達成感は、達成しようと思ったプレイヤにとってご褒美となるが、達成したいと思ってないプレイヤには邪魔。満足感は、前述のどちらのプレイヤにも喜ばれる(ので満足感優先、達成感二の次でゲームはデザインされるべきだ)」というふうなかんじで飛び道具的に用いられがちな話(←飛び道具として用いないほうが本来有効な話なんじゃないかと思うんだけど)。
    • 達成感闘争と満足感闘争では、ゲーム語り上とりあえず説明しやすいのが達成感闘争で、そっち方面のゲーオタ理論武装バリエーションは豊富だけど、満足感闘争は捉え方がむずかしいのでどうにもおろそかだ。というかゲームの満足感はいまだそれを明快に説明する言語が提示されていないと思う。なぜ言語が提示されていないかといえば、それが指しているものが曖昧なままだから。あと 2,3 段階細かく深く分割できると思う。
    • 特に合意を得ないまま話をすすめると、いくつかの要素が満足感の必要要件として混同されがちで、そしてその構成は話すひとによってバラバラだったりする。かといって割り切るのも危険だ。言い訳からスタートするデザインが優れたものになる確率は高くない。戦略的なサポートでもあればいいのかもしれない。
  • よくわかってない状態で「満足感」を運用する危険
    • わからないものにとりあえず名前を当ててみるというのはひとつの効果なんだけど、その前提を忘れると、名前を当てたことでわかったような気になるというハザードが。ビデオゲームにおいてゲームとルールはコンピュータの中で実体化しており、実体を見ながら雲をつかむような話をしてもしょうがない、が、それはどうにもむずかしい。雲で城を作るようなものだ、が、まるっきりの空論でもあるまいと思う。スタート地点があやふやなだけだ。できる範囲でやりたいぶんだけコツコツ実体を増やしていけばよいという話だ。まあ雲のうえに実体をのっけてしまうと床が抜けたりするわけだけども。トライ&エラー&フェザーフォーリング。
  • 洋ゲーの難度感についての妄想メモ
    • SEX 観の違いによる
      • 洋ゲーって必ずしもどんどんむずかしくなるわけじゃなくて、プレイヤスキルが一定以上になると天井になって、ボリュウムが食いきれないくらいどばーっとくるようになるだけで、言ってしまえば「高いレベルの単調さとの戦い」になりがち。これってなんだろうなーと思ってたんだけど、学生時代に洋モノのエロビデオを大量に借りて見る機会があって「あー、こいつらのセックスておれから見れば楽しそうじゃないんだけど、たぶんこいつらにとってはこれこそがセックスの楽しさなんだろうな」というよーなへんなところで納得したというか。たぶんガイジンは「高いレベルで単調なセックスが好き」だから、ゲーム難度の取り方もあんなふうになってるんでないかという説。
    • ゲームは擬似オナニーか擬似セックスか
      • 洋ゲーマーのゲームプレイを擬似セックス的なエンタテインメントと考えた場合、和ゲーマーは擬似オナニー的に消費するようなところがないだろうか?という説。自アンの場合、自アン民が最終到達点へと向かう筋道のひとつとして「アクロバティックオナニー」が提示されているが、ゲームの変態攻略プレイなどはアクロバティックオナニーへ向かう心理と似ていないか?
      • ワードナ倒したらゲーム終了=洋ゲーマー」「ワードナ倒してからがゲーム開始=和ゲーマー」(←…みたいな話をどこかで読んだような覚えがあるんだけど忘れた。ソース要確認)、みたいな感覚ってないだろうか?あとここで達成感と満足感の話に戻ると、達成感はオナニー的、満足感はセックス的なんじゃないかと思えたりもして、「最近のゲーオタは満足感優先で…」みたいなおっさんゲーマーの小言とか聞いても、それはそれで自家中毒化してなくて今ゲーマーは健康的ってことでひとつのいい話なんじゃないかと思えたりもする。