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空気調整弁としての OFF 会関連

引き続いて(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20120930#p2)。今回は地方東京問題らへんをまとめて。いちおう OFF 会分類については 6 年くらい前にダラダラ書いてるものが参考になるかもだ(→http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20061111)。

  • 「ネット社交の円滑化という観点から、地方オタでも年に 1,2 回上京する機会があればどうにかなる」話は、おれ「地方在住」「地方から年 1,2 回上京」「東京在住」ひととおりやったことあるうえで、たぶんうまくいかないと思っている。
    • この見解にはもうちょっと補足が必要で、「地方オタが地方のコミュニティで楽しくやるために、たまに都会に行っておもしろ話や見識などを仕入れてくる、みたいなサイクルとしての年 1,2 回の上京」という意味でならわりあいいいかんじではあるのだ。でも「インターネット上の話題の中心らへんに観客席をキープしとくための上京」であれば年 1,2 回ではお話にならない、ということ。
  • なぜか。地方から上京してくるひとが参加する OFF 会てのは、「地方から上京してくるひとと会ってくれるタイプの東京在住者」との交流会、さらには「迎撃 OFF」的な性格の強い場になりがちだからだ。地方民を交えた OFF 会はどうしてもカタログ的というか、話題紹介と 100 字あらすじみたいな場の前提調整のための時間が必要になるうえに時間的余裕が少なめで、あんま細部のエスプリを掬い上げるよーなところまではいかない。
  • 迎撃 OFF やイベント合わせでの交流 OFF などは大規模 OFF になりがちというのも悪条件。「このひとおもしろそうなんだけど、込み入った話はいまできないんだよなー」みたいなかんじで流してしまうこと多し。二次会三次会四次会くらいまで付き合ったらかなり突っ込んだ話もできたりはするが、それが可能なのは帰りの飛行機とか新幹線とか心配する必要のない東京民と、たまたま日程に余裕のあった少数の地方民だけだよね。
  • たのしいネット時間を補完しあう「自分と波長の合う友人」と、ネット社交で失敗しないために必要な「自分とは違う多様な生活者との接点、連絡窓口みたいなもの」の両方を押さえておいたほうがよく、これらの(場合によって相反する)条件を両立させるような人間関係を構築しつつ話題の同期をはかるために、年 1,2 回は少なすぎる。
  • 東京側の窓口になってくれる友人が居るとかなり違うけど、「上京民に会いにきてくれるタイプのひととの交流会」で波長の合うひとを見つけられるとは限らない、というより、日常的でダウナーな付き合いが続くような(非社交的な回路でつながれるような)ひととの関係を、そうした異文化交流会みたいなもので培うのは結構難度が高い。
    • …というか具体的にいうと、おれが年数回上京していた時期というのはコミケあわせなどでの即売会上京が主だったんだけど、そういう時期の OFF 会って、ひととおり挨拶して互いに生存確認してまわってるだけで終わりがち。「おもしろかった、◯◯さんちょうおもしろいひとだった、△△の話題でめっちゃ盛り上がった」で終わり。名刺交換くらいはするかもだけど、それでメッセンジャが活性化するかというと別の話。
    • さらにいえば、おれの場合年数回の上京でできた知り合いと、上京後にガンガン OFF 会参加して作った人間関係では、人間がほとんど重複してないんだよね。まあジャンルが違うってのもあるけど。なんだろ、ソーシャルとローカルくらい違う。
  • …もちろん「ネット社交(というか空気読み)は OFF がないと絶対無理」とまでは言わないし、ネット上の活動だけですごいパフォーマンスを発揮してるひとも居るけど、でも OFF なしでやれるってのは、インターネッターとしてかなりのハイスペックを前提とするんだよね。「同じくらい低スペックな二人が居たとして、一人が地方もう一人が東京に住んでた場合、どっちがラクにハイパフォーマンスを発揮できるか」という話なのだ。
    • あと個人的に「OFF 会とチャットは同じようなもんだからチャットで充分」は抜け落ちるものの多い意見だと思っていて。チャットとか、あと地方での OFF 会とかもそうなんだけど、やっぱそういのは「波長が近いひと同士」の場として固定化されがちなのだ。これが都市部の OFF 会だと、一応波長が近い同士だろうと思って集まってみるんだけど、なにせ人口が多いし考え方も多様、おまけに流動性も高いもんだから、異物が混じる確率が上がって、突然変異が生じやすい。で、突然変異の経験量はネット社交で役に立つ。チャットでも「思いもよらないわけわかんないひとのペースに巻き込まれておもしろかった!」みたいな事態ありえなくはないけど、やはり絶対量が少ない。
    • それと地方 OFF と都市部 OFF の空気の違い。あのねーやっぱ人口少なくて集まれる面子も限られてると、もう最初から「みんな仲良くしましょう」みたいな前提が出来上がりがちなんだよね。これがおれ昔から息苦しくてイヤだった。でも都市部だとそうでもないのがすばらしくて、ようは「これから行く OFF 会で、誰とも(OFF 後も連絡取り合うような)友達にならなくてもいいや」と思って OFF 会に行けるんだよ。ちょうラク。べつに喧嘩しにいくわけじゃないし、もちろん全員が全員それぞれに「おもしろかった」と思える OFF 会になればそれが一番いいんだけど、意見やノリが違う参加者にお追従のように空気を合わせなくてもいいってのは肩が凝らない。気が合いそうなひとを見つけてその輪やパイプにだけコミットして OFF 機会毎におもしろ精度を上げていく楽しみは、ある程度の流動性が前提になってないと味わえない。
  • 上京民にとって本当に必要なのは「東京民が気兼ねなくくつろいでる場に混じる」ことだと思うんだよね…。でもこれ東京側にあらかじめ人間関係が出来ていないと厳しい。地方民に立ちふさがる「クローズドな OFF 会がいいけど、OFF 会をきっかけにしてしかクローズドな人間関係がセッティングされない」というジレンマ。あとたまたまうまいこと東京民のゆるダラトークの場にまぎれこんだとしても、前提知識に偏りがあると一切話題についていけず置いてかれるみたいな悲惨な事態になりかねないリスクも。
  • そもそも、「インターネットとか好きです」みたいなぼんやりした集まりの場合、「話されるべき重要な問題」と「おもしろい話題」の二つの評価軸が全然リンクしてないことのほうが多いのだ。議論はやはり重要な問題から順に提出されるんだけど、その周辺には無数の「どーでもいい話題」が散らばっていて、でも実はそれらどうでもいい話題が次にくる問題の芽だったり、今後の展開を予想する手がかりだったり、あるいは過去から連綿と続く問題系を辿る証拠物件だったり、あるいはその日一番美しく弾ける泡沫だったりするのだ。脳内のゴミ山ストックを漁っておもしろを組み合わせるその日暮らしの豊かさは、毎日どうでもいい話題を流し見して暮らしている都市生活者が一番よく知っている。
  • S 氏のスタンスなどは「地方民の上京 OFF」事例として興味深いが、あれは「東京側と気分を共有するのは不可能」と最初から割り切ってる部分があるのでうまくいってるかんじが。
  • ともあれ、インターネット言説おもしろがりのためには 1-1 のパイプだけでなく、バックステージパスみたいなものとしての OFF 会機会もないと厳しい。ネット言説って建前こそが華なんだけど、でもその建前は実際には本音の力学が動かしてるので、本音を知っとかないと、ある瞬間に梯子を外される。で、そこんところのブレーキ感覚が地方で建前だけ見てるとなかなかわからない。それこそはてな最適化問題とかもクローズドな OFF 会で答え合わせしてるぶんには共有しやすいけど上京民まじりの OFF 会とかでは全然ピンときてもらえなくて困った。
    • というかそういう「本音 / 建前」みたいな舞台装置駆動そのものがイヤだ、アンフェアだ、という感覚もまた「はてな最適化問題」のひとつなので大変ややこしいのだった。
  • というような事情から、地方民としてネットでキャラを立てるなら「タテマエを真に受けてしごくまっとうな極論をぶちあげる、というありさまを東京民に愛玩される」らへんが妥当なんだよなー、というかんじに(←往年の表現でいえば「ローマに行って剣闘士として一旗あげて蛮族として愛玩される(どこまでいっても蛮族扱いで、人気者としての歓迎はされるけど同じ側の人間として迎え入れられはしない)」モデル)。でもこれ勤勉なひとしかできないし、あとスノッブやりたいひとには耐えられない(←これは地方サブカルの行き場のなさ問題)。そのうえ、それがへんに成功しちゃうと「タテマエしかないまっとうな極論」をさらに真に受けた後発世代を量産しかねないリスクもある。失敗すれば単に「インターネットに費やしたおれの数年間はなんだったんだ…」みたいなひたすら平坦で荒涼としたパースペクティヴってやつが迫り来るだけ。人生…。

とかなんとか。