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「通りすがり」の衰退、あるいは隆盛

なんだか最近はブログのコメント欄から「通りすがり」が減ったよな。Twitter のおかげかな、みたいな気分がある。

  • ところで往年にひろく見られた捨て HN「通りすがり」は、個人的な体感では、それ以外に選ばれがちの捨て HN 群とは一線を画し、「その場で語られている内容について、その場以外を経由して得た知識を踏まえたうえで、この一点だけどうにも指摘しておかねば気が済まない」というような意図をもった投稿者の比率が高いような気がして、興味深い。なんかこー「通りすがりのものですが…」みたいなのって、「こんなこともあろうかと」みたいなもので、オタとしてできることなら言ってみたい魅力的なフレーズなのかもしれない。
  • 多くの人が(匿名ではなく)ID を持つようになったので、捨て HN の通りすがりではなくなった、という意味でいいなら Twitter を待たずとも、はてなブックマークのコメント機能とかでよかった。はてなブックマークのコメント機能と Twitter で決定的に違うのは、Twitter ではすべてのトピックが dashboard(というか各自の Home タイムライン)上で展開されることだから、まあブクマコメントの出先感、Twitter コメントの手元感みたいな体感差の影響もかなりある。TV に向かって野次っていたらこっち向いて反論された、みたいなオカルト感覚が現実化している局面のある一方で、やはり大量の、ネット上の TV モニタ向け的な野次はスルーされるから、全体量がそれによって減るとは考えにくい。
  • SBMTwitter の違いといえば、SBM は基本的に「なにかに興味を持っている(持とうとしている)人間でなければログが溜まらない」サービスだが、Twitter はそうでもない、というあたりもあるか。その日ネット巡回や新規のトピック探しなどなにもしなかった人間でも、Twitter に「鯖味噌定食食った」みたいな post はできる。そうやって ID に付随した身体性みたいなものは確かになり、不意に訪れたコメント交錯事故の際、それが通りすがりの誰かではなく、普段なにやってるような ID によって為されたものかを確かめる材料となる。
  • 衰退してるのは「ブログコメント欄における通りすがり」ではなくブログ自体ではないか、という見方もできる。母体が衰退してるんだから枝葉も痩せるという道理。じゃあ往年にブログやってたような層がいまどこに行ったのか、という話になれば、やはり Twitter だ、ということになるので、まあその場合も Twitter の影響かもしれないといえる。その場合には、むしろ Twitter においては「通りすがられた側もまた、「現在」を揺蕩う通りすがりである」という感覚が意識される。ブログという定点、エントリ個別のコメント欄という定点、そのようなものがなくすべて平等に過去へ押し流されていく。捨て HN としての「通りすがり」は衰退しても、「通りすがり」という実態同士のコミュニケーションは、むしろ隆盛しつつあるのかもしれないという。

その時その場かぎりの出会い、遣り取りみたいなものの連続だけで、人生が充分に暖かくなるのなら、それに越したことはないと思っているので、もしそういうものがうまくいくような世の中になっていくなら、おれにとっては都合がいい。