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the social network 関連 3 - かっこいい "I'm CEO, Bitch" 名刺関連の妄想

引き続いて(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20110211#p2)。

  • 自分の感想を書けたから、あとはネット上の感想を見回って答え合わせだーとばかり検索しまくったところ、IT 界隈のひとたちの感想の自己啓発色の高さにドン引きしたりした、いや、まあ、たしかに、そういう映画でもあるんだろうけど…。オタクの生態を描くオタクアニメに、オタクが熱狂する、みたいなのを客観するとこうなるのかー、みたいな理解として勉強になった。まあわかる。
  • 一方、ユリイカ記事の「第 n 次カリフォルニア南北戦争」がおもしろかった。「あれ、東海岸 vs 西海岸だから東西じゃねえの?」と思って読んでみたら、西海岸内のシリコンバレーノリ vs ハリウッドノリというアングルが読み取れるわけか、言われてみればおもしろい。知的財産商売の権化である映画産業が(映画で描かれるような)ザッカーバーグを主人公にする場合、彼の「実装したモン勝ちなんだよボケ」みたいな態度は直截的には擁護されない、みたいな。

それはそれとして。もう公開から随分日も経った気がするのでネタバレ隠蔽ナシで。

  • ザッカーバーグがパーカーのアドバイスをマジに実践して "I'm CEO, Bitch" と印刷した名刺を刷るところ、ちょっと気になったんだよな、込み入った腹の探りあいの香りがしたので。はっきりそう描かれるわけではないので仮定から入るわけなんだけど、「パーカーのドラッグ使用を密告したのがザッカーバーグだった場合」の話だ。つまりサベリンを画策によって排除したパーカーを、画策によってザッカーバーグは排除しようと考えたとすると、あの名刺を準備したのは、ザッカーバーグによる画策の一部だったのではないか?という妄想が可能になる。
  • 酸いも甘いも知り尽くしたパーカーは、サベリンのような甘ちゃんではないし、そもそも組織からサベリンをものの見事に排除した人間が、次に自分が排除される可能性を警戒しないわけがないので、パーカーを陥れるためには、彼に油断してもらう必要があった。
  • …というわけで、ザッカーバーグは(パーカーの現彼女である)インターンに、自分の名刺の作成を指示する。パーカーのアドバイスに従った書式で。当然それは、彼女の口からパーカーに漏れることを計算してのものだ。パーカーはその話を聞いて、ザックがまだ自分に心酔しているのだと油断する。
  • その安心感と、サービス拡大のマイルストーンを超えたお祭り感から隙だらけになったところを一気に突いて、ザッカーバーグは(パーカーのほうが上手であろう契約や人事など組織内の力ではなく)予想外の密告という手段で、パーカー排除に成功する。完全なアクシデント、未成年のドラッグ使用という言い逃れしようのない状況、パーカーの失脚を自業自得として決着する見事な演出。そこで思い起こされるのは、サベリンを排除した直後のパーカーに掛けたザッカーバーグの言葉「やりすぎだ」だ。
  • 「やりすぎだ」という台詞は、見世物のように陥れることなどせずとも、もっとクールでスマートな排除方法があったはずだ、というニュアンスにも受け取れるわけだ。そしてザッカーバーグは、パーカーを(パーカーがサベリンに対してしたような遺恨を残す方法ではなく)よりエレガントな方法で排除し、それをもって「酸いも甘いも知り尽くした実業家」として、パーカー越えを果たしたことを示す。
  • インターンが名刺を置いて去るシーン、パーカーとザッカーバーグの「(それ)なんだ?」「なんでもないさ」みたいな会話の、互いにちょっとニヤケたかんじ。勘繰りが正しいなら、パーカーは聞かずともその中身を知っていたはずで、それを「照れているような演技で」ザッカーバーグは華麗に捌き、パーカーを出し抜いた。
  • …もちろん、その場合ザッカーバーグの密告は(サベリンの退場を見たあとで計画したような)発作的感情的なものではなく、それより(サベリンが実際に陥れられるよりも)以前から計画されていたことになる。名刺の発注、たしかにいまどきなら速いけど、さすがに即日できたりはしないだろうし。あの日ザッカーバーグは、朝メシ食いながら「今日は二人が片付く日だな」とか考えていたはずという、ずいぶんクールな起業家像に。
  • …というわけで、その仮定で解釈した場合、れいの名刺を眺めるシーンのニュアンスはガラリと変わってしまう。あの名刺の小芝居こそが、ザッカーバーグがただの野心あふれる若者でなくなったことを示すからだ。権謀術数がなかった場合には「サベリンはついてこれなかった、パーカーには一時惹かれたけど合わなかった」みたいなかんじでいいが、あった場合には「サベリンの存在はむしろリスクになっていたので排除、そしてパーカーから学ぶことはもうない」になる。
  • とはいえ、そのどちらの場合にでも、そこで彼が抱く感傷の質には、あまり違いはないはずと思う。目の前のやるべきことを片付けているあいだに時間が過ぎて、サベリンとは結局一度も事業成功の喜びを分かち合う機会がないまま、彼を排除する日になってしまった。自分がアドバイスに従って名刺を作ったと知ればパーカーは喜んだだろうが、その現物を見せる機会は結局訪れなかった。あの日は Facebook のユーザが 100 万人に達する記念すべき日だったが、ザッカーバーグは一人になっていた。同じ孤独になるにしても、サベリンと乾杯のひとつでもしてから、パーカーに名刺を渡してからでも遅くはなかったかもしれないが、がむしゃらに突き進んできた自分にそんな暇はなかったし、それでいい。いいんだが…みたいな感傷。

「パーカーの逮捕シーンのために、未成年インターン学生との関係を暗示するシーンは必要」「だからといってすでにパーカーと彼女に(既に)関係があることをザッカーバーグが知っているという描写までは必要だと思えない(「ああいう子が好みか?」とでも言わせておけばいいだけだ)」、つまり「ザッカーバーグがパーカーとインターンの関係を知っていることがわざわざ提示されるからには、なにか意図があるのではないか?」…みたいな筋合いから、以上のような妄想が可能だ。