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「マチ」の感覚関連

  • 田舎者にしか通じないのかもしれないが、田舎では繁華街のことを「マチ」と呼び、それが地元であっても自分の生活圏とは区別する。
  • マチの用法は「マチに行く」「マチに出る」などで、より伝統的には「出る」が適当。これは、生活圏の閉塞とそれに伴う安心の対義、それと旧来型のマチが駅前型であったこもによる「外界との接続感」らへんから落ちてきてる感覚かもしれない。マチは生活圏の出口であり、さらにその先へとも接続している特別な場所だ。出口であり、入口でもあるというか。
  • だからおれは鉄道でなく自動車道のジャンクションを起点に開発された郊外型ショッピングモールを「マチ」とは言わないんだが、まあそれは世代問題なのかもしれん、おれは多少なりと駅前商店街栄光の時代の残滓を知っているから、比較する感覚があるけど、知らない世代になればショッピングモールオアダイかもだ。
  • 駅前商店街には出口があるけど、ショッピングモールには出口がない。…いや駅前商店街には駅という「外界への往路」が開けているけど、ショッピングモールには家に帰るための復路しかない、だ。
  • …うーん、でもこの感覚は、おれが運転免許持ってないからかな。「東京さ出るだ」の感覚て、基本的には「電車でもバスでも、自分で運転しているんではないインフラを利用する」て感覚が前提にある気がしてるんだけどもな(若さに頼った上京というものはある程度の見境のなさを含むので、東京での落ち着き先の想定が比較的チープで、車で行っても駐車場なんかあらかじめには確保できていないという具体的事情もある)。バイクならアリか?

もちろん、多くの駅前商店街は実質的に郊外型ショッピングモールより不便なんだけども。でもなんか夢はある(あった)かもね、というかんじ。ただ、そのイメージが現在にも継承されている可能性はあるよなと思うのは、学生や若年社会人の帰省のプロセス、実家から下宿先への移動、あるいはその逆、という具体的に連続した風景の変化のなかに、駅はけっこう絡みうるけど、ショッピングモールはあんま絡まないというのもある。「出てゆく」「帰ってきた」というイベントのたびに必ず通過し、またそれを通過してゆくのだと自覚させる場所。そして、そこに紐付いた光景。