最近のインターネット
- あんま興味ない分野に関しては、あんま頭よくなさそうなひとに「君を信頼するから。頑張って」と丸投げしとく、どうでもいいから精査しない、認識違いでこじれたらそいつの責任だからパージ、てソリューションもアリなわけか。でも興味ないならプローブそもそも投げないよな。あと、そのての残酷さみたいなものには抵抗があって、それがなにかということを考えると、やはりそれはオタクの態度ではないからだ、というあたりに落ち着いた。
- ネットにおける「神」の成立条件の最大はやっぱ「いま、目の前で展開していること」かもな。その場合の「神」は「大統領!」「日本一!」みたいな掛け声と同義。訪問販売してやらないと神も有難がられない時代になった。その怠惰さはしかし、遠まわしに押し売り営業を正当化するのでダメだ。「いいものを使ってもらうためには、まず知ってもらわなければならないんです」みたいな大義名分を率先して歌い出すような勢力に水を遣ってはならない。
- 往年から近年への変化で「ラクだからオタクを選ぶひとが増えた結果、ぬるオタが増加」みたなこと言われたりしたけど、どうもなんか「オタクとして作品消費するのも面倒なので、適当に聞きかじりで知ったふうなこと言うためのポジションとしてサブカルを自称」というさらに低い受け皿があるっぽいな。オタク物件を消費しててもオタクと名乗るのはちょっと違うからサブカルを名乗ってみた(理由:漫アニゲに「サブカルチャー」って呼び方があるから)、みたいなかんじだから、いはゆるサブカル的な教養も特にないという。なんまんだぶなんまんだぶ。
- そういう行為って、オタクカテゴリ内でも特に珍しいことじゃないから、サブカルとか言わず普通にオタクを名乗っておけばいいんじゃ…と思わんでもない。あんま「オタク」って言葉に馴染まないくらいには、コミュニティ意識の無いひとたちなのかもしれない。
- 先日 AURA 感想界隈を読み直していて、「おれにとって痛いからこの過去は中二病」みたいな、わりあい乱暴な「中二病」用法が目について気になった。用例として「おれにクリアできないから(略)クソゲー」「おれにとって(略)神曲」「この味が(略)サラダ記念日」とほぼ同レベル。オタ内部の話ならそれで終わりだが、ほかのエントリでちょと人文かじってます的なこと書いてるひとでも、邪気眼と中二病に関してはわりとアッサリ客観を捨てていたのが印象的で。痛いことを喋るときにでも態度を崩さないのが人文系クールメガネの誇りなんじゃないかと思っていたので、なんか残念だなーと思った。