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オタ宴会

新宿 | 051127

二日続けて新宿で飲み会というのは、なんか年末っぽいかんじだ。今日はなんかサブカルっぽいかんじの話が聞けるのかなあと思っていたが、わりと 80 年代オタ話に終始したような印象。

  • AKIRA」話
    • 「オタクの考える不良」としての金田
    • おれの場合でいうと「AKIRA」の金田はサイバー近未来版「未来少年コナン」のコナンだと思ってるので、「不良」というキーワードはあまり重視してない。コナンをあの世界にコンバートすれば、たぶんああいうかんじになるのが自然なんじゃないかなというか(おれの AKIRA 感想→http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20021110#p1)。
  • TO-Y」話
    • TO-Y」は 80 年代オタクダンディズムの結晶
    • TO-Y」はビジュアル系文化の源泉
    • 肩パット入ったジャケットがかっこよかった時代
    • TO-Y」の最後のバイク転倒シーンは「AKIRA」のオマージュというかリスペクトというか(なんていうか知らないけど)サンプリングカルチャー的なアレ
  • 絵柄で作者の性別を感覚するヒヨコのオスメス鑑定士的世界
    • 手描きイラストだとわかりやすいんだけど、パソコン絵になってくると、ツールの使い方に性別差が顕れづらくなってきているかも、とのこと。
  • 天使な小生意気」がすごくおもしろいらしい。
  • 地方オタクエリート
    • 「自分が好きなものをまわりのひとが知らない、共有できない。→じゃあひろめよう!→周囲に勧めまくる」みたいなモデル。すごいパワフルだ。
    • おれの場合「おれが好きになるものがメディア上にあるなら、おれと同様にこれを好きになるひとはほかにも居るはず」という信頼というか安心がベースになった(このような理解には根拠や確認が必要ない)。ポエマーっぽくいうと、おれのようなやつはほかにもいる(はずな)ので、わざわざ互いを確認しあわずとも我々は(メディアの電波が及ぶ範囲にある限り)つながっている、だからみんなバラバラに遠くへ行こう、我々の特徴はそうやって拡散してゆくことでやがて強みに変わっていくし、それができる程度には世界は広い、というよーなかんじになるのか(←「外向きの車座からよーいどんで全員バラバラの方角へ歩いていけばいいじゃない」)。これはたぶん「自分は特別ではない」というような中二病抑止の心理と渾然一体となっていたとおもう。またその根っこの部分には、(自覚はないけど)片親の家庭という抑圧(?)から逃れるため「自分の環境は特殊ではないと思いたかった」という問題も絡んでるかもしれない。あと、団塊ジュニア的「我々は多数である」というある種の傲慢さ。
    • あと「集中講義型オタク学習(合宿的)」「勉強してオタクになる、というある種のゲーム観(受験戦争的)」「男子オタクグループにおけるロールプレイ観(ギャング的)」等、さらに細かく時代や地勢に絡んだキーワードをのっけていくと、だいたい 90 年代前半にオタクを志した地方男子オタクエリート候補生の素性は明らかにできるんじゃないかなあという気はする。
    • 結局当時の男子オタはグループを作っても同じ話題をあまり共有しないというか。グループになれば、逆に「こいつの専門は○○」「こいつは△△」「おれは□□」というように、ジャンルを分担しあって専門化していきがちな気がした(そういや OVA「おたくのビデオ」内でのキャラ紹介もそんなかんじだった、てことはこのようなパターンは 80 年代の名残だったわけか)。RPG のパーティにおける職業みたいな。ロール(役割)を分担することで集団として多角的に伸長していこう、というような無言の合意。いまはちょっと違うんだろうなというかんじだけど。非オタというか、一般的に重複が嫌われるのはロールじゃなくてキャラだったろうけど、そこがちょっとズレてるかんじというか。
    • グループは体験の共有のためのもので、話題や趣味はあまり重複しなかったということかな。とはいえ体験を共有するためにはある程度話題や趣味が平均化される必要があるわけなので、まあ「自意識が満足する程度の個体差」の範疇ではあったろう。…というようなわけで、昨日の宴会ともちょっと絡むけど、おれは最近のゲーオタ界隈での「ゲーオタ同士集まっても共通の話題がないよね」(関連→http://gmk.9bit.org/note/20051112-jirou.htm)というような話についても「それは昔からそういうものなんじゃ?」とか思っていて、あまり危機的な話題に見えない。各人にとっての最先端がバラバラなのは健全な気がするというか。確かにその先に集約し燃え盛っていくような未来が約束されている気はしないけど。
    • それはそれとしても、我々の年代では、この「体験の共有」についてゲームの果たした役割というものはとても大きい。ゲーセンにせよ、放課後溜まり場になる友人宅にせよ、サークルの部室にせよ、ゲームは常にそこにあったという。
    • そこからもうちょっと進めると、「ソーシャルなゲームにコミュニティが乗っかっていくゲーセン」→「プライベートなゲームにコミュニティを乗っけていく家庭用ゲーム」→「携帯ゲーム機の通信対応よってコミュニティにゲームが乗っかっていく」「PC や XBOX でゲームネットワーク上にコミュニティをのっけていく」みたいなかんじで公私と人間関係とゲームの位置関係はわりと流動していってるよなみたいな話になるけど、このへんまでくると宴会とはまったく関係ない話だな。個人的なゲーオタ妄想だ。
  • 東京オタクエリート
    • 話でいろいろ聞くぶんに、やっぱ東京生まれ東京育ちのがオタ的にうれしい体験はけっこうあったということなのかなと頭では思うんだけど、それをうらやましいとか妬ましいとかあんま肌感覚で思えないのはどういうことだ、というのがおれの疑念だった。というかそれを「サブカルは身体性とかが絡まないと楽しめないとかいってるのでひとと機会が集中しがちな東京に固執するのは仕方がない、けどオタはわりと普遍的に享受できるものによってつながってきたわけだから、オタであるおれはあんま東京がどうのという話に関して実感をもつことができない」わけかなと納得していたが、さらにもうちょっと限定して「おれがゲーオタだったから」というのが大きいのかなと思ってみた。好きなバンドが来ないとか、好きなスタジオに見学に行けないとか、好きなイベントに参加できないとか、そういった部分で「なぜおれの近所にはそれがないんだ」と歯噛みするほどまで飢餓感を抱かずにすんだというか。ゲームの場合モニタがあってコントローラ握ってるまさにその場が常に最先端の現場だから。ゲームを遊ぶというのはゲームプレイの当事者になることだ。無数に複製され焼きこまれた世界を並列に体験してゆく我々は大勢であり、その繰り返しによってある程度相似していきながら受け取り方や消費についての考え方によって多様性を確保し、共通の用語をもちながら暗黙のまま進行する伝言ゲームによって「きみの場合はそうだったのか」という個々の体験を発見しあう、それは暮らしのうえでのいつどこでというような話ではない。ゲームの中心がゲーム以外の場であるなら、そんなものにハマりはしない。
    • まあでもそういうのは確かにあろうけどもうちょっと違う話なんだろうな。単純に「ド田舎すぎてあらゆる可能性をあきらめるしかなかった」「あきらめる以前の問題として、希望的な発想を抱くような素養が育たなかった」「希望のない環境が標準だったので、そこに不足を覚えたりする自意識が育たなかった」みたいな貧相な話というか。諦めとか割り切りとかを基礎教育として受けたんじゃないかな。そっちのが納得しやすい。情報とモノが半端に入ってくる半田舎的なところに育ってしまうと、ぬるいんだか寒いんだか温度がわかんなくて、夢見るのもあきらめるのも下手な傷付きやすい子供に育ってしまうのかもしれない。ド田舎育ちでよかった。