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勉強してオタクになった問題関連

話としてはあんまり関係ないけど(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20060326#p1)。

  • 考えてみると、「何年くらい勉強すれば一人前のオタクっぽくなるのか」という基準を持ってない。「それは時間ではなくイベント数だ」とかいう言い方もあるので一般性ないんだけど。そういうのって普段意識しないから大概のオタは「必要な時間=自分がオタクとして過ごした時間」と思ってそう。等身大の自分をみつめすぎると、世の中全部を自分基準で見てしまうというシンプルな病気。
  • …てのもまあ言いすぎか。「オタ心つきはじめ〜だいたいあのへんから成長してねーなおれ」らへんの期間か。改めて考えてみるに、おれ自身の場合中学 2 年からオタクになって、たぶん大学 3,4 年くらいまではかかってるかな。でもそのあとまた社会人になってかなり変わってんだよね。でもその変化は、勘定に入れる気分ではない。「オタクになったあとの勉強」というかんじがするからだ。
  • まあ基礎教養 6 年程度は必要、とかは思っているか。そこは間違いない。中学からはじめて現在高校 2 年くらいのひとを、おれはたぶんオタク一人前だとは認識しない。まだイメージファイト三面らへんという認識。
  • とか書いてると基準がきついかんじが自分でもしてきたんだけど、試験とか資格みたいな方向性で厳しいようなことは全然なくて、実際には「なにかに反応するとき、そいつがオタクになっているかどうか」で判断するかんじだ。知識の量はどうでもいいし、判断の正誤も問題じゃない(オタクらしい間違いをするやつは、間違いなくオタクだ)。
  • …てのは結局、おれが身体的には「オタクは趣味じゃない、生き方だ」路線でオタクやってるというかんじになるかなー。頭で考えるぶんに、オタクを趣味でなく自意識問題として語る論調とかにはウゲーとなったりもしてるんだけど。おそらくは「頭で生き方として、身体的には趣味として」オタクを理解するひとのほうが最近は多くて、おれとはちょうど逆のブロックですっぽりハマって強烈な反発力が生じる、みたいな話なんだろう。

オタクを「やる」という意識は、それを忘れてようやく自分とオタクが和合するということだから、やり込み的にはむしろ意識すべきでないことなわけだが、一方でそれを意識しつづけねばならないとでもいうような強迫もまた強い。おれの日記カテゴリ [オタ] とかもそれだ。おれはオタ日記を書いてるわけだから、わざわざ [オタ] カテゴリなんか作らなくてもすべての日記がオタ日記だ、というようにも書けるのだが、そうはしていない。もちろん普通にオタ日記以外の日記も書くためという事情もあるけど、どちらかといえば、オタク日記をやるうえで、 [オタ] カテゴリは必要という考えのほうが先に立っている。おそらくこの気分は、20 代前半にはなかったものだろう。