matakimika@hatenadiary.jp

WELCOME TO MY HOME PAGE(Fake) ! LINK FREE ! Sorry, Japanese only. 私のホームページへようこそ!

なぜ近頃の若オタはおっさんより先に過去を特権化したがるんだ問題

  • 以前メモした「一方ではしかし、経路だとか文脈だとかに過敏な若オタ層が、若い世代を取り込みたいおっさん層と利害関係を一致させて継承と権威化みたいなあそびをやっている様なども散見され、やはりこの地表は全然平坦ではないのだった」(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20080114#p1)あたり…、というかこっちだな、「親子くらい年代差があるケースはいいとして、じつは「ちょっと歳の離れた兄や姉」くらいの年代差のオタ文化資本が思春期に存在してしまったがゆえにオタクとして自意識をこじらせる、みたいなケースにはあんまり良い発展が望めそうもなくて、じつはあれは結構タチが悪いんじゃないか?」(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20080524#p3)。今回は上の世代との結託抜きで。
  • ちょっと上くらいの世代がメインプレイヤだった文化に染まったときに困るのは、なにせターゲットが自分よりちょっと上なもんだから、あんまリアルタイムではそこにコミットできないまま旬が過ぎてシーン自体が寂れてしまうこと。黄金期は知ってるし体験もそれなりにあるのに当事者性が弱いという。だから体験が物足りず、補充しようとしてもいまさら購えない。これはシンプルに不幸だ。
  • 「ブームが来て去ったもの」の性質を逆手に取ると、じつは結構いいかんじの自意識のゆりかごになっちゃう場合があって、これがあんまよくない。つまりねーちょっと前に流行って現時点ではわりあい廃れているものに傾倒するというのは、「現在がすばらしくない(すばらしくなくてもよい)こと」という認識において強烈に居心地がいいんじゃないかと思うんだよね。勢いにまかせて遡上してきて、衰退にぶちあたってしばらくしょげる、というのはよくあることだけど、なんとなくズルズル居座ってしまい自意識をメタボらせていくパターンとかなー。いやそこは実際足腰弱って性根も腐ったおっさんオタ優先席だからみたいな。
  • あとブームが過ぎたものって、へんな書き方になるけど、安心して努力できるんだよね。たとえば「〇〇ブームが再加熱すべきだ!」→「盛り上がらない」とか「〇〇について調べ尽くすぜ!」→「散逸してる」とか、なにせ衰退してるからガタがきていて当たり前で、だからあらかじめ「今更モノにならない」ことがある程度決まっていて、決まっているからこそ、際限なく、安心して、「無駄な努力」を楽しむことができちゃったりするわけなのだった。この不毛さもまた居心地のよさにつながるわけよナイーヴなオタからしてみれば。
  • もちろん、「現在は不安定だけど過去は変わらないので安心」とか「細部を探っていったときちゃんと理由(原作なり文脈なり)が準備されていないと安心してハマれない人々(無駄になるかどうかをスジのよさで判定する態度)」問題(≒スパロボ周辺)とか、そのへんのアレもある。

なにがいいのか考えたり探したりせず、ただ目に映ったもの指に触れたものをいいと信じ込んでしまうのは愚かしいわけだけど、しかしいま目の前にあるものを良いと思い込んでいじくりまわすのも、健全なオタに必要な心性だと思っている。愚かさの上にあぐらをかけるのは現役の特権というかな。そういう意味で、現在には、ただ現在であるというだけで安心できるものがあると思ってるんだよなー。上のリストでしつこく「安心」と書いてるのは、どうも彼らが現在からはそれを補給していなさそうだと思えるからで。

まあそうした傾向のあるオタというのは一握りで、大多数はめっちゃいいかんじにダラけており、世界も羨む日本も未来はお先真っ暗で大変結構ってのはありつつ。