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ゲーモクさんのこと

今月 4 日、ゲーモクさんが亡くなった。交通事故だったそうだ。

ゲーモクさんは当代一流のゲーオタだった。あれほどのひとは滅多に居ない。量や質においてではない。ゲームを好きな人間、得意な人間、一本をやりこむ人間、量を遊ぶ人間、いろいろ居るが、そうした各部門の頂点を争うようなタイプのゲーオタとして、彼が抜きん出て優れていたわけではないと思う。おれがゲーモクさんに敬意を表したいのは、なによりその純度においてだ。彼はゲーム純血種だった。漫画やアニメやその他のオタク趣味の汚染がほとんどない、本当にゲームだけが好きなオタだった。だから彼のゲーム愛は、ただゲームが好きというだけでなく、「自分にはゲームしかない」という憎悪に近い複雑さと渾然一体だった。興味関心、喜びや悲しみや怒りや苛立ち、あらゆる情動をぶつけ注ぎ込む対象をゲームひとつと定めていた。そういうタイプのゲーオタは少ない。そのうえさらに固有の表現力を併せ持つ人間となると、彼以外にはあと一人しか知らない。今後出てくるとも思えない。

ゲーモクさんはゲームライターでもあった。だけどおれは雑誌を読まない人間なので、ライターとしての彼のことは知らない。ネットでは、最初にサイトを知ったのは…いつだったか思い出せないけど 2001 〜 2 年あたりか。はじめてメールを貰ったのは 2003 年。サイトの記載内容に関するちょっとした連絡だった。当時のサイト名は「G.N.A.」だったか。ただ、ライターとして活動していたから、こうしてネットごしにその死を知られることになったとはいえる。そんな話は聞きたくなかったという思いがあり、事実があるなら知ることができてよかったとも思え、混乱している。

ゲーモクさんがただのゲームサイト管理人であったなら、たぶんおれがその死を知ることはなかったと思う。日記やその他 web サービスの更新が止まった、生活が忙しくなったのかもしれない、発信することに疲れたのかもしれない、署名に付随するしがらみを清算したくなったのかもしれない、おれもそのしがらみに含まれているのだろう、そんなことを考えながら、なんとなく消えていった人となりを思い返して「たぶんどこかで元気にやってるだろう」と思っていられたかもしれない。それなりの期間ネットをやってきて、ネットごしの友人知人の死はそれほど珍しいことではないと考えるようになった。こうした話を知らされるたびに、連絡が取れなくなっているひとの中に、既に亡くなっているひとが居るのかもしれないということは考える。やはり知りたいとも知りたくないとも言えない。いずれ知ることになる話は、どのみち耳に入るのだと思う。

直接会ったのは 2005 年が最初で、2006 年が最後だ。

  • OFF 会した。
    • http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20050625#p3
    • 初対面で相手がゲームライターと薄々は知りつつ「雑誌とか読まねえ」とか、おれは言ってることがひどい(←ゲーモクさんが自分の仕事をおれに教えたことはない。「なんか攻略ライターとかやってるひとなのかな?」とか当時は漠然と思っていたような)。まあ逆に、おれがそういうやつだからこそ、付き合いやすかったのかもしれない。ライターとその読者みたいな関係だと、多分おれもかしこまっちゃうしな…。
  • みんなで OFF 会した。
    • http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20051126#p2
    • 前回のことがあるので遅刻すまいと思ったんだけど、緊張すると前日寝られなくなる性分によりまたしても寝坊。ゲーモクさんは待ち合わせに遅れたことなかったな。
  • 360 発売カウントダウン OFF 会をやった。
    • http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20051209#p3
    • この日初代 XBOX の PGR2 画面分割対戦でボコボコにしてやったのだが、後日 360 の PGR3 Live 対戦でボコボコにやられた。おあいこだ。そのまま徹夜で池袋西口ビックカメラの早売りに行っておれのぶんの 360 を購入、ゲーモクさんは自宅最寄の家電屋で買うとのことで、駅前散会。駅前におれら以外の人影は、早売りカウンタで寒そうにしているビック店員のひと二名以外に見当たらず、XBOX 360 で自分たちのゲーオタライフがハッピーになるとは確信しているが、自分たちのようなタイプのゲーオタが多くないことは身に染みて、したがって国内ハード展開に関する明るい展望など一切持っていない、寒くて眩しい発売日だった。
  • 一緒に秋葉原のイベントに行った。
    • http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20060408#p2
    • 大画面で PGR3 を遊べるというので一緒に行った。大画面すぎて勘が狂うのと、順番待ちや持ち時間のことが気になって集中できず、うまく操作できなかった。イベント後、夜からそのまま秋葉で自アン系のひとたちとの OFF 会があったのだが、ゲーモクさんはそれには行かず帰った。「N 氏の実物を見るのはなんとなく怖い」という理由だったかと思う。
  • 散歩した。
  • 遊んだ。

ゲーモクさんは、まあおれのような人間がいうことでもないが、人付き合いが上手そうではなかったし、人格者というわけでもなかった。一本気ゆえこじれたような内面の持ち主で、それを多くのひとに理解してもらおうと努めているふうでもなかった。ついでにいえば大人げもなくて、ネットで揉め事に巻き込まれることも度々あった(どちらかといえばひとから誤解されて揉め事に巻き込まれることのほうが多かった)。一度揉めれば相手が話題の回収に入ってもそれを許さず、燃え尽きるまでやり続けるような歯止めのなさもあって、そのたび神経をすり減らしていた。

ゲーモクさんがそういうひとであることを周囲は分かっていたので、彼のネット上の活動を見続けたいと思いつつ、それで注目を集めてしまえばまた誤解に基づいた DIS に曝され、絡まれれば受けて立ち、また消耗してしまう…という展開にならないことを同時に強く願ってもいた。そういう事情もあって、去年の 6 月あたりからこっち、mixi 外でも細々と活動を再開しはじめたゲーモクさんを、おれは「ゲーム様」と呼ぶようになった。彼の現在の活動と「ゲーモク」というハンドルの紐付けをなるべく緩くする意図だったが、そういう経緯を省いても、ゲーモクさんは正しく我らのゲーム様であったと思う。上に書いたとおりのゲーム・イコンであったのだ。いつごろだったか、彼は自分のプロファイルに「ゲームを取ったらほかに何も残らぬ男」と書いていた。誰でも似たようなことは書ける。決意も込めることができるだろう。しかしその文言に絶望を込めることができる人間は少ない。自分にはゲーム以外何もない、出てこない、残っていない、欠けたる者だという叫びだった。

違う環境に生まれ育ち、ちょっとした縁で知り合って、個別状況へ帰っていく、見たい景色向き合うべき現実は違うんだから、歩み寄って助け合いたいなどとは思わないけど、同じ時系の中で一緒に歳を取っていくことができると思っていた仲間が居なくなったという喪失感にはやり場がない。ここから先おれが歳を取ってもその未来にゲーモクさんは居ないということがわかってしまった。死んだ人間のためにできることはなく、彼の何かを引き継ぐとか、背負って生きるような余力はないし、そうすべきだと思わない。だから、彼のためにはなにもしない。この文章も彼のためには書いていない。長いこと漠然と思っていたことで、近いうちにでもまとめる予定だった。たぶん公開すればゲーモクさんにはかなり嫌がられることになった。リアクションが予想できたので、どう丸めたものか考えたりしつつ、書きあぐねていた。もうそれもない。彼は ping の通らないところに行って、戻ってくることはない。

おれとゲーモクさんは全然違う。意見や立場も(部分的には合致することがあっても)根元がかなり違った。ただ、どこか似たもの同士だと思っていた。OFF で会うときは特にそう感じた。ゲーモクさんを愛する人間はおそらく誰でもそうで、たぶんゲーモクさんと似ても似つかないひとたちだけど、自分の奥底にゲーモクさんと同じものを見ていたと思う。欠落をだ。痛みはない。ただ虚しさは分かり合える。そう思っていた。