最近のインターネット
ところでおれの場合 90 中盤前後から 15 年来、エヴァを肴にサブカルを語る一見アニオタにも見えるが興味の中心がアニメではないひととか、アニメを肴に時事問題を語る一見アニオタに見えるが興味の中心がアニメではないひととかに心底ウンザリしているので、なんかそこいらへんについてちょいちょい書いていたりはする。
ええい、アニメをダシに現実を語るブログをアニメブログに勘定するなと何度も(略)。
アニメをダシに社会問題を語るブログはアニメブログではなく社会問題ブログだ問題。社会問題をダシにアニメを語るやつは訓練されたアニメブログだ問題。社会問題うめえー!というフリをしつつ結局かわいい女の子がイタリアとかで義体化して小銃とか使って人殺しをしながら最後ズンボロになって捨てられる話ブヒー!…みたいなのがとりあえずのスタート地点。わざとややこく遊んで深入りしない。そうやって頭使わず生きていくために空気を読むし、読んでるふりをしつつサボる。歳をとることでつく知恵は人生を豊かにしない。
こちとらせっかくわざわざアニメで現実逃避してるのに、逃避先から現実に話題を再接続したがる人間を見ても不粋にしか見えない。それこそ運動的・啓蒙的・あるいは宗教勧誘的なひととかいっぱい見てきたけど、「おれはおれでおれの現実に向き合っているので、おまえにおれの現実の代弁してもらわなくていいです」感が。なんだろね、おれにとってアニメは祈りの部屋にもなりうるポテンシャルを持ったメディアなんだけど(まぁメディアだから祈りの部屋以外のものでもあるけど)、なんかそういう感覚が全然ないひとたちなのかね。
「アニメってなにかのダシにされやすいジャンル」という感覚が染み付いてんだろうな。で、だいたいインターネットのアニメ(をダシにした◯◯)語りで許容できるのは「自分語り」までで。世間とか政治とか語りだしたら「あー」ってなる、という体感が、アニオタとしてのおれにはある。まあ近年は自分でもそれやっちゃいがちになったので、「あーおれもサブカルくずれになってきたなー」と思うし、イヤな気分にもなるが、なんか「ただアニメをダシに現実を語る」だけじゃなく、それをもってアニメについてでなく現実についての世界観闘争を仕掛けているような事例を見ると、一気にウゲー度あがるかんじなんだよな。そこいらへんでいうと、ゲーム語りはあまり世間語りや世界観闘争のダシにはされないかんじなので、ゲーオタとしてのおれは結構インターネットでラクができている体感あるな。時々キョトンとするような独自研究にゲームが援用されているようなものもあるけど、そういうのはむしろ積極的に読んでいきたいネット文章のひとつなのでべつにいいし、どちらかといえばおれも思いついては書いていきたい。
いはゆるひとつの「現場オタからみた周辺で騒いている人々への反感」の一種というやつだが、そういう反感って上記みたいな話だけじゃなくて、それはたとえばシスタープリンセス以降問題(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20060318#p3)の現代版というか、「2ch まとめブログとか見てアニメ本編は見るつもりないけどアニメの話題にいっちょかみしたり軽く知ったかぶりたいだけのひと」みたいな立場とかへの反感も、現場オタからは根強かったりする。で、我が身を振り返ればだいたいの現場からの反感の範疇に、おれのスタンスは重複して含まれつつ、しかし部分的には現場オタとしての心証も抱えていたりするわけで、こうなったらサラサラした血を流しながら鎖と片翼とへんなレザーコートを背負い、左手の甲に浮かび上がる邪竜の紋章を右手で押さえながら生き抜いていくしかない。おっさんが。