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ON/OFF 雑考

まとめる段階ではないので雑に。

  • おれは OFF だと挨拶魔だけど ON(及び ON の延長の OFF)ではほとんど挨拶をしない。たぶんこれ元は無意識から発生したポリシーで、OFF においておれは結構一期一会的な感覚をベースに持ってるんだけど、ON においてそれがない、ということだろうな。
  • 「意志があればいつでもどこからでも再会できる(というより誰もが偏在している)、距離や位置が無関係、ということは、(互いを視野に入れたいといつも思ってないだけで)いつも誰とでも一緒にいるようなもの」というのは、挨拶とかするのに及ばない関係性じゃねーかみたいな感覚かな。挨拶すればするほど遠ざけてるかんじがするわけよね。インターネットは場所の問題を解消するから、問題は共時性だけということに。半同期メディアはさらにそこも曖昧にしていこうという試みだ。過去には絶対に戻れないし未来へもジャンプできないが、現在の幅を拡げたり曖昧にすることはできる、みたいな。
  • それを一面的&政治的&曖昧&ポジティブに発声すれば「挨拶って嫌いなんだ、「こんにちは」って言っちゃうと、いつか「さようなら」って言わなきゃいけない気がするから…」というふうになるんだけど、でもまー感性としては別にそうじゃなくてむしろ積極的に距離感は作ってかないといけないと思ってんだよね。
  • いつでも誰とでも相互監視できるんだから、だったらなるべく多くの人間と常時距離を取っておかないとコミュニケーションだけで人生終わっちゃうんだよね。いや人間にそれ以外のことができるとはなかなか思えないわけなんだけど、結果と可能性でいうと可能性だけ確保しとけばだいたい満足はできるはず。
  • ON という感覚については、むしろ OFF 会という場を一旦想定して、そこに便利な仕様を追加していく方向で妄想したほうがいいのかもしれない。つまり、巨大な宴会場がある、そこには無数の話題の輪が存在する、参加者は全員がその会場内すべての場所に偏在することができる。といっても身体はひとつなので、ある瞬間にコミットできる話題は大抵 2,3 個までで、効果的に支援機能を活用すれば(Plagger とか)、同時にいくつもの視点から観測することもできたりはする。基本的に受信だけしていて発信していないときは、参加者はどこにでも存在しうるけどもどこにも存在していない状態になる。そのひとのリテラシによって会場の大きさは変わる。ある輪の中で発信した次の瞬間に、まったく別の輪にまるでずっとそこに居たかのような顔をして発信することもできる(事実ネットにおいてひとは、どこにも居ないようでいて、どこにでも居るようなものだから)、そして誰がどの瞬間にその「場」から居なくなってもおかしくはない。
  • とはいえ、「過去ログを読んだかどうか」は重要で、輪の空気感みたいなものが、実際の暮らしにおける空間と同様に醸成されているような擬似感覚はこのへんからきているんじゃないかという気もする。偏在できるとはいっても、処理能力や理解力、記憶力など、身体的な性能に依存している部分はまだまだ大きい。…というあたりを考えると、これってまじめに追求すると「自称初心者」問題とかと接続しなくもないのかなと思ったりする。「自称初心者はとりあえず質問して済ませようとせずに、自分が何で困っているのかまず調べろ」みたいなのと同様に、「「はじめまして」とか言わずに過去ログ読んで文脈把握しろ」みたいな。でもそれはめんどくさそうだなー。ROM 期間とかログ漁りとかやりたくないひとのほうが多いわけだから、むしろ「挨拶を交わすことによってそういう手間を省きましょう」ってかんじに世の中進んでるかんじもするし。

とかなんとか。ていうかあれなんだよね Twitter とか一行メッセージで遣り取りしている場合に、おれの考える理想的な状況が生まれるんだよねー、つまり、初対面のひととも全然挨拶してない。いきなり本題、というか語り合うようなことでもなく、単に枝葉の反応や応答だけが飛び交っているような。あれは、いいな。でも Twitter には、挨拶文化圏の強固な根城としての顔もあるので、それ自体がシステム固有の特徴というのではなく。おれから見える世界はおれの選択によって作られる(=SNS がおもしろいかどうかという個人評価は、そのひとのフレンドリストの評価とイコールである→http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20050410#p3)みたいな話か。