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ゲームセイ・イワノヴィッチの消失

用語「ゲーム性」が、なんでここ数年ゲーオタ界隈で NG ワードってことになってるの?という素朴な疑問が呟かれていたので、すわおれの出番!と思いつつ暑いのでスルーして水シャワーなど浴びた。サッパリしたので絡むことにした。以下 Twitter 増補改訂。

「なぜ用語「ゲーム性」は使うべきではないのか?」の大雑把な解説。

  1. なんでも「ゲーム性」で片付き過ぎてボキャ貧に陥る。
    • 「むかしはゲーム性でよかった、でも今はそういうわけにもいかなくなってんじゃないか」みたいな言い方はよくする。というのは、昔はインターネットが大して広くなく、どこかの小さい輪での雑談が伝播する範囲も限定されていたから。でもいまどきは雲霞のごとくひとが居て、驚くべき範囲に伝播し、どこにアテンションが集まるか知れたもんじゃないという状態。そして用語「ゲーム性」は、肉体言語的に「わかってる」同士だけで会話する際には、複雑な文脈を省略して一言で済ませることを可能にするマジックワードとして便利なんだけど、いまどきのように文脈を共有してないひとが簡単にアクセスできてしまう場で濫用すると、「わかるひととの了解」数より「わかんないひとへの誤解」数のほうが大きくなることになって、それが連鎖していくと、誤解や「わかんなかったという経験」がスペースデブリ状にネットに溢れちゃうんじゃねーかという懸念みたいなものもある。
    • みじかくいうと、「「ゲーム性」という言葉を使わなくても、そこで言わんとすることは説明できるよね、わかってる同士だと「ゲーム性」で片付けたほうがラクだからこれまでそうしてきたけど、これからは多少冗長になっても個別論をきちんとやらないといけないかもね」みたいな話。そこを推し進めると、じつはこれまで我々って、ゲーオタとして体験はしてきているのだけど言語化するのは厄介な部分を、非言語のまま用語「ゲーム性」を便利なブラックボックス的に扱うことによって、気軽に遣り取りしすぎてきたよね、という話になる。いろんなものが「ゲーム性」で片付きすぎた結果、本来であれば努力して開拓しておくべきだった語彙が、我々にはいまだ備わっていないんじゃねーかという。
    • それって結構貧しくね?みたいなところで徐々に。「いままで「ゲーム性」と安易に済ませていたけど、これって本当はどう説明すればいいことなんだろう?」というリハビリ。
  2. 用語「ゲーム性」は、実体のないものにも貼ることができてしまうほど強力。
    • それが指すものが曖昧なわりになんとなく収まりがいい言葉なので「なにも説明していないのになにかを説明した気分になってしまう」という問題がある。「ゲームで一番大事なのはゲーム性!」とか叫んどくだけで、まるでなにかを指摘したかのような気分に浸れるような感覚とかってネットみてると観測できる。「かなりキテる 無敵のパワー マジでいいカンジ」くらい何も言ってないのに。
    • …というのは笑い話だけど、要点はそこじゃなくて「あることないこと」全部に「ゲーム性」が適用できるという部分。これがかなり厄介。実体を確認できるものだけでなく、気分とか偶然とか空気感とかオカルトにまで、「ゲーム性」を付与することが人間にはできる。で、ラベルを貼られたそれらは、仕様やテーブルやアルゴリズム、フラグなどと同じ棚に陳列される。全部「ゲーム性」だから。もちろん未検証のものを検証してみたらそこに意味があったという例は結構あると思うんだけど。中にはなにも考えず好き放題貼ってまわるひとも居るわけで、テーブルにのっかってるだけでは食材を信用できないという状態に。一々生産地確認したりとかして選ぶ時代になってしまった。
    • 同じように強力なラベルとしては「クソゲー」「神ゲー」とかもある。とにかく自分が「このゲームはクソ or 神だ」と感じた瞬間そのタイトルはクソゲー / 神ゲーだということにしてよい、というシンプルさは、各人の感覚に基準などないことによってジャンル「クソゲー」「神ゲー」に交通整理不可能な混沌を呼び込んだ。まあそのスープは、そこから意味を汲み取ろうと努力するより、そのままにしておいたほうがメリットが大きいと判断するひとのほうが多いかんじなので、用語「ゲーム性」ほどには、用語「クソゲー」「神ゲー」の取り扱いは問題にされない。
  3. 補足:利用シーンの変化。
    • さらにまた別の話として、用語「ゲーム性」がビデオゲームじゃなくてパチンコパチスロのシステムを説明する際に使われる機会が増えてきたこともあって、「そろそろ用語「ゲーム性」はパチンコパチスロ界隈にあげちゃってもいいんじゃない?」みたいな感覚があったりもする。
    • 特に「システム解析も一応するけど、それよか雰囲気とかオカルト重視」みたいなパチンコメディアでこそ用例としての「ゲーム性」が輝いちゃってることなどを考えると、あれが本来の幸福な用例なのかもなーという気分になったりもして(実体のある部分ない部分をわざとごちゃまぜにすることでいい具合に膨らませ、曖昧にうまーく丸め込むかんじの性能)。

ガチ用途「文脈説明を省略するためのマジックワード」、ハッタリ用途「それを言うだけで何かを言った気になれるマジックワード」、あたりがごちゃまぜになってしまったのも大きな問題かなー。というかそれを問題だとする感じ方自体が新たな問題を生んでいくわけなので(ゲームアカデミズムがライジングしてきたりとか)、やはり「ほどほどが肝要」路線は堅持すべきよなーという感覚もありつつ。

あと、マジックワードを排除していった先のゲーム語りは、…開発者へのインタビュー記事を例に挙げるのは不適切だけど、なんとなくこんな雰囲気なんじゃないかと思ってる。

  • Q3:
    • これまでのお仕事の中で、"これは良い"と感じたアイディアが浮かばれたと思いますが、そのアイディアがどういった作品でどんな風に使われたのかお教えください。
  • 高本氏:
    • 素晴らしいアイディアと呼べるのは、ゲームボーイの『こぐるぐるぐる 〜ぐるぐるとなかよし〜』のメッセージ表示で、H ブランク割り込みを使用して行間を詰めたことです。(わかりづらい表現ですみません)

ものすごーく具体的で、「理解できない」ことはあっても「誤解する」ことはなさそうな、部分の話に落としていくかんじ。「なんとなくいい」とかゆるいこといってないで、その「なんとなく」が何によって作られているのか、その要点がどこなのかを探していく。

とりあえずのところ、ゲーム開発者でもなく、ゲーム研究者でもない、ゲーオタにでもできることは、「ゲーム性」という NG ワードを念頭において、饒舌に書き、添削していく、の一択という気もする。あともうひとつ、ここ 1,2 年で経年劣化というか沈没船にサンゴが付着してるよーなかんじで着々とマジックワード化が進行してしまっている用語としては「ゲームプレイ」もあるんだよね。これそろそろどっかで一線ひいとかないとあぶねーなと思っている。「ゲーム性」と「ゲームプレイ」のおれ内頻出曲線は、わりあい相関関係にある。「ゲーム性」は攻略への能動性を前提としていて、「ゲームプレイ」はそれをびみょーに去勢して、システムへの受動性みたいな部分で便利に利用してしまっているなーという自覚も。

…とかなんとかうだうだ書いていたら、

ごらん あれがゲーム星だよ。

期待に完璧に応えて、lu_and_cy 氏がおもしろいとこ全部もっていったのだった。